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岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜名古屋・浜松ヴァイオリン教室:チェロ教室

私 岡田のプロフィールは、サイドバー上部の「プロフィール」欄を ご覧ください。
教室は、主に平日が名古屋教室、週末が浜松教室、のペースで、 発表会などの企画は 名古屋と浜松を合同で行っています。
また、2018年春から 浜松三ケ日教室では、チェロ教室クローバーも 始動! 只今、生徒さん募集中!
連絡先手紙:メールは、こちら「メッセージを送る」をお使いください。岡田に直接つながります。
電話電話:一旦メールを頂きましたら、ご返信にてお伝えさせていただきます。(非通知設定の 電話は受話致しませんので、ご了承下さい。)
住所家:「三ケ日教室」浜松市北区三ケ日町鵺代/電車天竜浜名湖線「奥浜名湖」駅下車徒歩
   「名古屋教室」名古屋市千種区/本山駅徒歩1分 
尚、浜松教室は、浜松から車でお越しの場合は、
三ケ日インターからは10分、 高速を使われない場合は、三方原から30分。
豊橋方面からは、多米峠から20分。 豊川インターからは、本坂峠を経由し20分。

詳 細はこちらもご覧下さい。
◆名古屋本山(東山線本山駅徒歩1分)の「名古屋教室」も、浜松教室同様こちらから、お問合せ下さいませ。◆

ホームパーティー、披露宴、記念式典、などでの演奏も賜っております。
詳細は♪演奏のご案内♪をご覧下さい。

・ちょっと自宅で演奏してほしいのだけれど、
・予算内で何かしてもらえるかしら?、
・どんな曲でも 弾いてもらえますか?、
・ピアノがない場所でも何か弾いてもらえますか?など、
初めてのことで、なにもわからない、という方も安心して
気 になることがあれば、ご遠慮なく、お名前、ご予算、演奏希望日程を、おおよそで構いませんのでフォームにご記入の上、
手紙ご相談メールを下さいませ。

演奏歴20年クラスの音楽家の繋がりを持っておりますので、演奏者に 直接依頼できます分、お安い価格で賜れます。
ご予算に応じ、お客様の願いを形にするための 的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこ と、
全てお任せ下されば長年の経験をもって準備段階から会場スタッフの方とも連携し、場にふさわしい、
素敵な演奏をお約束致します。

また、◆企画コンサートのご相談、◆演奏会のチラシデリバリー、◆リサイタルなどのスタッフ業務ご相談も、是非どうぞ!



 

200.2019第9回空の音色サロンコンサートのおしらせ

カテゴリー │演奏日記ステージのお知らせ鈴木康史チェロ教室

今年も 浜松のレッスン室から見える楠の木には 烏の夫婦が卵を温めておりますが(笑)ハート
同時に! サロンコンサートの季節が巡ってきました。
 
& 今年からは チェロの生徒さんも参加出演します!ひよこ
乞うご期待チェリー





第9回空の音色サロンコンサート

2019年4月27日(土) 14:00開演 
@5/Rホール(千種駅徒歩5分)
入場無料


1.アレグロ:鈴木鎮一 (1954Pub)
鍵盤楽器のためのレッスン選集より リゴードンZ.653:H.Purcell/鈴木鎮一 (1696Pub)
2.ヴァイオリンのための12の独奏曲より 第11番 ト短調:H.Eccles/篠崎弘嗣 (1720)
3.無伴奏チェロ組曲 第3番ニ短調BWV1009よりブーレl/ll:Bach,J.S./鈴木鎮一 (1723)
4.協奏曲RV317 Op.12-1ト短調 第1楽章:Vivaldi/鈴木鎮一 (1729-30) 
5.セレナーデ第7番ニ長調KV250より ロンド:W.A.Mozart/Kreisler (1776) 
6.ソナタ ホ短調KV304 第1楽章:W. A .Mozart/G.Kremer (1778) 
7.オペラ「ロジーヌ」第3幕より ガヴォット:Gossec/鈴木鎮一 (1786) 
8.こぎつね:Anschütz/鈴木鎮一 (1824Pub)
霞か雲か:German folk song/鈴木鎮一 (1844Pub) 
                     

~ⅱ~

9.協奏曲 ホ短調 Op.64第1楽章:F.Mendelssohn/Oistrakf (1844)
10.ソナタ ト短調 Op.22第1楽章:Martucci/M.Bonfils & D.Bruno (1874)
11.動物の謝肉祭より 第3番 白鳥:Saint-Saens/磯部朱美子 (1886)
12.プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ:Kreisler (1910)
13.セレナーデ第13番 KV525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 第1楽章
:W. A .Mozart/W-D.Seiffert&Kaz (1787)/ 合奏



今年も 小さな子から 大きな方まで(笑)、みんな頑張っていますハート
是非 彼らの熱演を、聴きにいらしてください。音符

・・・今年の表紙は、大きな方(笑)の お兄さん生徒さんが デザインしてくださいました♪ 
晴れやかで楽しい時間が訪れそうな予感…てんとう虫


~~~~~~~~~~~~~~生徒さんひよこ募集中~~~~~~~~~~~~~~~


【名古屋 ヴァイオリン】
ハート平日/月1~数回ペース(初歩のうちの始めの2か月程は毎週やります)  大人の方:1名
ハート木/週一ペース ピアノを開始している(又は開始予定のある)気力体力ある子供さん:1名

【浜松 ヴァイオリン】
ハート土日/ 年齢問わず: 音楽を習うにはパワーが要ります! 心身元気な方約1名

【浜松 チェロ:講師は鈴木康史先生です】
ハート平日(現在は土日)/ 年齢問わず: 最大2名


…※きちんと正しい基礎=最初こそ肝心!ですので、将来きっと趣味だろうけど、という子供さんも ご遠慮なく是非こちらからお問い合わせラブレターください。 
プロであろうとアマであろうと、楽器習得において こなさねばならない内容に 両者の間の違いはありませんし、間違った基礎からは、どんなに練習しても ある時点からの伸びしろは 残念ながら完全に消滅します。
従って、空の音色では 最初の一番大変で大切な所、から、愛をもって ガッツリ指導いたします!(笑)。
また、鈴木先生は 音高・音大の入試対策はもちろん、各種コンクール入賞にも これまで沢山の生徒さんを輩出しておられます。





 

195.39度はつらいが、夏だ!…暑中お見舞い申し上げます!

カテゴリー │徒然日記演奏日記

7月ももうすぐ 終わり。
今年は 毎日毎日軽く36~39度の日々で
身体が徐々に 暑さ慣れ?し始めている感じでもありますが。。。
昨年は 無茶してぶっ倒れたので(^^;)
今年はアリ十ミン飲みつつ、気を付けてる岡田です。。。いやはや。

さて、今日は 暑中お見舞いを兼ねまして、今月の出来事一覧、な 記事です。

7月14日は 袋井みつかわ病院さんの納涼祭に 空の音色チームが
お邪魔してきました!
楽しんでいただけたようで、とても 嬉しいです。
浴衣姿の涼しげなスタッフさんと、出演のみんなで、終演後のホッとした笑顔!




あとは、
生徒さん関連では、名古屋でランチに行ったり、

▲名古屋池下のLA BETTOLA da Ochiaiさんの、パスタ。



ハードなところでは
洗面台下の修理があったり。。。貞子が出てきそうな状況だった!(><)汗



レッスン室の本棚を10年振りに手入れ交換したり、




…34度での作業中ゆえ、短パンにて失礼をば!


▲この、ディアウォールってやつは 素晴らしい…! 木の香りも良いです♪



浜松の方は 昼夜を問わずの昆虫天国で・・・










美味しいものもいただいて スタミナつけて・・・

▲豊橋は勢川さん(牟呂店)のカレーうどん。Loveウズラのフライ! 
そして、「祝・150万食」の前掛けがかわいい。。。ニコニコ



←左は毎度おなじみ、ご満悦の岡田旦那。   
Q.じゃぁ、→これは誰?!(笑)






▲夕べには 生徒さんに戴いた小樽は田中酒造さんのお酒に 鮪! 幸せ・・・❤



・・・と、まぁ、そんな感じの 夏を過ごしております。
夏、まだまだ 続きますね・・・倒れないように 気を付けつつ 
素晴らしい時を 皆さま お過ごしください!



2018.7月スイカ








 

194.梅雨らしい毎日

カテゴリー │徒然日記演奏日記ステージのお知らせ

ちょーっと 憂鬱な空模様の多い今日この頃、ですが
もう あと10日もすれば 7月になっちゃうんですね、早いなぁ。。。

私は、来月の袋井みつかわ病院「納涼祭」の JOY'ntConcert の準備をしたり、
…懐かしい日本の唱歌をメインに、生徒さんたち5人との共演です!、生徒さんたちと外部依頼のお仕事をするのは初めてで、先生の立場としてはちょっとハラハラ汗しつつも?(笑)、
本気本番のステージの機会というのは プロアマ問わず、自分の日々の取り組みを改めて見直すには大事なチャンス!
この機会をありがたく思い、生徒さんたちはめっちゃめちゃ張り切って真剣練習中です!
お時間あれば 一般の方も入場できますので、是非お立ち寄りください。入場無料です。



あとは・・・この 山のような JazzとBossa系のCD音源を
iTunesに取り込む作業をしたり、…300枚あったよ・・・(;^ω^)
去年の秋に、クラシックのほぼ全ては取り込んだのですが、それですでに1700枚あったので、←この時点で、一年前に買ったNECの私のパソコンのCD取り込み機能は、壊れて死んでしまいましたので、このほどはUSB外からツッコミ状態での取り込みとなりました。。。orz
今回の取り込み作業で2000枚になってしまいました。

▲作業大混乱中の部屋(笑)


来月末の 恒例ホールリハの準備も佳境だったり、
…来月は、本来なら6月の予定だったのですが メンバーの予定のためにちょっと先になりまして、7月31日。
メンバーも 恒例の 石山英明先生と チェロは鈴木康史先生。
プログラムは、季節柄、での楽器の鳴りを考慮したところで 6月回はフランスものが定番化しているのですが、
今回は フォーレの若いころのものから晩年を追う中で、イタリアには どんな作曲家がいて、彼らはどんなふうに ロマン派が終わろうとするその時、近代現代、という 
大きな戦争を挟むその時代=音楽が激しく変わっていく時代、の入り口を どう捉えていたのか、を感じてみたいと考えて 選曲しました。
今ちょうど 名古屋の市の美術館で開催されている モネの展覧会と、意味合い的には一部リンクするのではないかとも 今個人的には考えています。…あぁ、この展覧会も見たいのに、まだ行ってない!急がないと終わっちゃうなガーン

Faure: Sonata Op.13
Martucci: Sonata Op.20(22)
Respighi: Sonata in B minor
Faure: Piano Trio Op.121


あとは、朝採りの美味しいトウモロコシを戴いて、初めて 生で!齧ってみたり(笑)、



そんなこんなの間にも、庭の梅は 実りに実り、





今年は 少し早かったと思うのですが、
2週前の時点で写真のごとき状態になってしまっていたので
先週慌てて 梅酒も漬けました。
今年の梅酒は、友人が愛好していたという
今は古酒しか入手できなくなってしまった「BlueLibbon」なるお酒と
きび砂糖、というレシピで。



学生さんは、試験期間ですね、
4月から今日まで 学校でした勉強内容をきちんと自分のものに出来ているか、
・・・これは ヴァイオリンを習っていても 全く同じことが必要で、
毎日の練習が毎回のレッスンにどう結びついているのか、その意識が持てる練習が 
「普段の毎日」にこそ 出来ているか、ってことの お試し、なんです。
つまり、毎期ごとにあるテスト、に対して いかに 「いつもと同じように コンスタントな状態で向き合える」か、が 
結局 勝負所。 それはつまりつまり 「毎日の生活そのものが、勝負所」、ってこと、なんですよね、
だから レッスンの初めのスケールでヴァイオリンの音を聞くなり
「なんて音出してるの?! 生活習慣をきちっと計画だてなさい!!」と いきなり叱られたりして、
…正直、先生というのは チューニングを聴いただけで その人の普段の練習具合→生活 が見えるんですよ・・・


私が実際に 中学生時代に使っていた書式フォームを使ってもらって
…懐かしいノートを引きずり出してきてみた(笑)・・・
頑張っていた子も 何人か うちにはいますが。。。さて、今期の試験では、結果に少し何かは反映されるでしょうか?今回は、ちょっと時間的に間に合わなかったかな?(笑)クローバー
…まぁそのあたりが、ヴァイオリン出来る子は勉強もできる、なんてよく言われる処の
ネックなんだと 思いますヨ。。。

来月はもう 夏休みですねぇ。。。
あぁぁ、苦手な季節になります。。。orz
今年も 読書の夏になるのかなぁ。。。
まぁ 私も 頑張りまっす~!上











 

191.2018サロコン終了!

カテゴリー │演奏日記

いやー、楽しかったですね!!
そして、楽しかった のウラは(笑)、一年、ほんとうに 皆さん よく頑張った!
難しい楽器との 練習の積み重ねの毎日繰り返しバトル…なのだから、
それぞれに、苦しい時も 相当に あったと思います。

でも、この一日は その努力のおかげで、 楽しすぎるくらい、楽しかった、爽快だった、…!太陽
佳かったと思います、そういう経験 大事です。。。

大人になると、よほどのイベント、でない限り
幸せ、とか 喜び、って 感じなくなってしまう日々に なりがちですものね。
そんな中で、この 
ステージ という 特殊な数分間をもつこと、は
特別な感慨をもたらした一日、になったのではないかと、 
打上で みなさんのお顔を見ていて 思いました。
自分と真剣に闘ってきた、その日々に対する 特別なご褒美が、今の 気持ちだと 思います。

今日は、そんな演奏の 瞬間ショットを、いくつか 掲載させていただいて、
また 来年に向けて、の日々の中に再来するであろう 苦しい時、や やる気が上がらなくて辛い時、に
あの時の あの至福!、充実!、を 思い出して頂けるヒントに、なればいいな…、と 
記事に残しておこうと思います。



▲今年の目玉だった? バロックコンチェルトの風景。


▲初めてのステージに、お辞儀を忘れるくらいの 緊張とやる気!!


▲石山先生の優しいフォロータイミング


▲男前!の凛々しい緊張感!



▲▼みんな自分との真剣勝負の真っ只中。。。!






▲とにもかくにも、この笑顔!…この時を いつまでも忘れないね、きっとキラキラ




石山先生、鈴木先生、お疲れさまでしたクローバー
ほんとうに色々事件頻発の中(^^;)、ナイスフォロー!&ナイスサウンド!の素晴らしい瞬間をたくさんキラキラありがとうございました…!花束










 

187.秋になりますねえ・・・嬉しい(^^)

カテゴリー │演奏日記

いやはや、夏に 一切記事を書かず、で
もう 9月になってしまいました。
蝉の声も 日々 聞こえる数が減ってきていますが、
皆さま お元気にお過ごしでしょうか。

今年の夏も、名古屋は暑くて、大変でした。。。
夏が苦手の私にとっては、こうして秋が来るのが ほんとうに 嬉しくて、、、、えーんハート

で、さて、元気でいますよ、な 報告くらいしか 今日は 書く予定もないのですが(笑)、

それでは 何なので、
昨年夏から私が個人的に開始した ホール練習の企画の件でも書こうかと。。。

練習なので、一般の方にご入場いただくものではないのですが、
自分には「本番さながら」、という条件の下で 一発合わせ&通し、の ゲネプロのようなものを
年に4回 始めました。

過去には、こんな プログラムでした。

2016.9.27
Bach  Partita3 ^preludium -Mendelssohn,-Shumann,-kreisler
Beethoven  Sonata Spring 20’
Lekeu  Sonata 30’
Ysaye  Reve d’Enfant 4’

2016.12.6 
Dvorak  Sonata Op57 26’
Dvorak  Mazrek Op49 7’
Hubey  CarmenFantasyBrillante Op.3 10’
Brahms   Sonata Nr1 Gdur regenlied 28’

2017.3.7
Halvolsen  AirNorvegienne 7’
Grieg  Sonata Nr1 cmoll 25’
Shostakovich  Sonata 32’
Shostakovich  Romance from the Gadfly 3’

2017.6.27
Debussy Sonate 13’
Chausson Poem 16’
Ravel Sonate Gmajor 19’
Honegger Sonate No2 12’
Ravel Piece en forme de Habanera 3’



私の生徒の皆さんたちには、すでに 毎回恒例のお客さん、となっている方もちらほらと(笑)いらっしゃいますが、
ぜひ ご都合合えば、選曲、取り組み方、…演奏するという様々なことについて 
きっと それぞれに、何か 勉強になることが あるんじゃないか、と思うので 
生徒さんには、これからも どんどん いらしてほしいなぁ、と 思います。

次回は 10月3日。場所も時間も、いつものごとくの 5/R 19時30分くらい~。
ピアニストさんも、恒例 石山先生にお願いしています。
プログラムは以下。

2017.10.3  
Delius Air and Dance 5’
Elgar Sonata 24’
Scott(kreisler) LotusLand
Delius Sonata No1(1905-15) 27’
Delius Suite 18’


前リハ無しの一発合わせ、なんて とんでもない! あるいは 勿体ない! といえる曲ばかりなので 
まぁ 出来は 期待しないでください(笑)、な わけですが、
そもそもは レパートリー作りの一環で 開始したことでもあり、
とにかく、自分のために弾きたい、ということを 第一義にして、
色んな曲をやってみること自体に 価値を見出している、という具合ですから、
今後も どんどん 面白い曲、素敵な曲、今の私が取り組みたい曲、を 取り上げていくつもりでいます。
…既にリベンジ曲の回も 予定したくなってますし。。。(笑)

3か月に一度というペースで この内容の75分プログラム、というのは しかし
けっこう 強固な意志と 自分のための時間や 精神的余裕をうまく作り出さない限り 出来ないことでもあり、
ピアニストさんも 曰く 「行(ぎょう)」だと思って やってくださっているそうですが(笑)、
私にとっても そこは全く同じく 「行」ではあり、
体力と精神力の ストイックさ 全開!でないと、やっていけない企画だな、と 実感してはいます。

しかしながら そんなことをしてこそ、
生徒さんたちと 一緒に歩んでいくことにも つながっていくな~、ということも とても思うので、
自分の中では、いい手応えも 感じています。
手応え、って なかなか得られないのが 楽器の練習&上達、なので
これがあるだけでも、行 の 意味はあるな!と・・・(笑)


これからも 前向き上昇で(笑) 頑張ります!
…そんなこんなの日々を送っているために、ブログ更新がおろそかに、なってもおりますが…ニコニコ汗

よろしくお願いいたします!!





 

148.あっという間に11月!

カテゴリー │演奏日記

先月のであいさん「オータムコンサート」は
地元の方々、生徒さん、そして懐かしい旧友…
たくさんのユニークなお客様たちと、
なんと二時間にも渡るコンサートで
非常に楽しいものになりました。

であいさんオーナーの本多さんご夫妻、35年の営業 
そして、これまで二度の 楽しいコンサート開催、本当にありがとうございました。
帰りがけ、素敵な葉書を頂きました。



12日(月)までの「佐藤徹新作展」の案内状です。
お店の玄関口ですね。。。♪
三ケ日での最後のであいギャラリーさんの展覧会です。

さて、
気付けば10月も更新しないうちに、11月になってしまいましたが、
来年5月11日(土)の発表会の準備なども着々と進みました。
会場は 名古屋千種の5/Rさん、ピアノは石山英明さんです!
会場、ピアニストさん共に、昨年生徒さんはもちろん
ゲストの皆様からも大変ご好評を頂きました素晴らしい環境ですので、
今回も 生徒一同 頑張って、
お披露目させて頂くその日まで 練習に励みます。
また期日が近づきましたら あらためてご案内させて頂きますね。

直近では、
12月9日(日)には、再び浜名湖瀬戸のHIMSさんにて、14時から 
「空の音色2012クリスマスコンサート」を行います。
ご近所の皆さんも、どうぞ 気楽に遊びにいらして下さい。
こちらも、またあらためて 詳細ご案内をいずれアップ致します。

名古屋と浜松、という二か所での、しかしとても小さな教室ですが
どちらも 生徒さん達の熱い気持ちが沢山伝わるといいなぁ、と思っています。

小さな湖岸の町の 小さな教室で
近隣みなさんと 素晴らしい文化を
これからも共有し、発信していきたいと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。。。クローバー






 

119.チャリティーコンサートの報告

カテゴリー │演奏日記

昨日、4月17日金山駅前、インターコモンでの
チャリティーコンサートでは、おかげざまで9万8千円の義援金を
集めることが出来ました。

来場し、募金して下さった皆様に、深く感謝いたします。
本当に、ありがとうございました。

わたしたち奏者も、何にどう協力していいのかわからない、という
胸の内のもやもやとした苦しさを、少しだけ、晴らせた想いです。
演奏は、ギャラを頂くのと同じか、もしかしたら
それ以上の結果になったと思います。
ノーギャラでメンバーに出演依頼する、というのは
とてもシビアなことなのですが、
今回はセカンドの森さん、ビオラの伊東さん、チェロの中西さん、
即座の快い回答を頂き、
彼女たちとだったからこそ、あの演奏が出来た、という
奏者としての喜びも、かなり深い演奏になりました。

また、遠方から、来て頂いたお客様も多くいて下さり
沢山の素敵なパワーを頂けたのもまた、有難い事実です。





とても綺麗に響く石作りのスペースで、
ここで弾かせて下さる機会を作って下さった
金山南活性化協議会さん、そしてクラシック名古屋さんにも
本当に、感謝しております。
ありがとうございました。





このメンバーとして今回最高に気持ちよく弾けた
バッハのイ短調コンチェルト、
春の爽やかな風のよう、とお褒めの言葉を頂いた
ピリオド奏法風のパッヘルベルのカノン、
皆さんの歌声と共に奏でることのできた
見上げてごらん夜の星を、
そして
偶然にも、
このコンサートの1曲目にあたる女性ばかりのわたしたち弦楽カルテットと、
ラスト、トリであった男性ばかりのサックスカルテットの
ホントの大ラスの1曲という両方で奏でられた
「情熱大陸」。。。

最後は他立ち見も出ての、大盛況だっと聞いて
とても嬉しく思いました。
(そのうち、音源もアップしたいものですが、操作がわかりませぬ…汗
誰か教えてください。。。ガーン


冷静さと、深い情熱とのバランス。
「ひと」として、同時に「ひとつの生物種」として
何が出来るか(あるいは、何をあえてしないか)、
これからの日本をあらためて考え、再生していく上で
この鮮烈なエネルギーの発露と、深い思考に支えられた冷静な推進力は
共にあってこそ、の とても大切な両の輪だと思います。
そして、わたしたち日本人には
それらの可能性をよりよい方向に向けて選別・選択する能力が十二分に在ると、
当然のように(笑) わたしは信じています。

みなさま、本当に素敵な時間を ありがとうございました。
生きている、というのは、辛いけれど 
生きることを捨てきれないほどの、美しいものとの出会いを秘めています。
生の発露…春の息吹のような、まぶしく温かい光。
被災地に、このわたしたちの気持ちが、あの時の爽やかな温もりが 
どうか届きますように。。。













 

112.ラテン・ヨーロッパの音

カテゴリー │演奏日記

先日、とても興味深い音作りをしている
アマチュアオーケストラの合宿に参加してきた。
(今日も少々長くなりそうなので、是非パソコン画面で ゆっくりお付き合いください。)

三重県で活動している三重大学のOB系のオケなのだが、
平均年齢30歳弱、というところか。
(※シーサイドオーケストラのホームページはこちら
来月定期演奏会があり、皆仕事の合間をぬって連休を献じての
泊りこみ集中練習。
私など、一日の練習も1時間から長くても6時間、という方なので
実はまだこの日の12時間耐久レースの筋肉痛が、なーんとなく残っている。笑

私はエキストラとして3日の合宿の中日だけお邪魔してきたのだが
プログラムは序曲がロッシーニ「セヴィリアの理髪師」
フォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲、そしてメインがメンデルスゾーンの
交響曲第4番「イタリア」。

チラシはこちら。
イタリアの国旗にパリのエッフェル塔!上手い。笑





さて、背中に羽の生えているようなキャラの私には、日本のオケの、ドイツ式な縛りがどうも苦手で
オケは本当に、大好きなのだが、大好きだからこそ、現在はもう基本的にはやらないスタンスでいる。
明治期の日本の西洋音楽輸入に際し、その手本とした
ドイツ風(ドイツ、と言っても北的なドイツ。南西部じゃないなぁ…)の硬い…指揮者の号令のもと一斉に揃う、というガチガチな兵隊式が、わたしはとても苦手。
見た目だけのスタイルのみならまだしも、
どんな国の音楽・サウンドに対しても このドイツ式こそが全ての理想や大前提とされている雰囲気が未だに日本のどこのオケにもあって、(日本の音楽アカデミズムによほど未だそれが残っている故だろう)
更には、音楽監督や指揮者と楽員の関係、事務局と楽員の関係、などなどの
「出勤」する限りみえる人間関係や心理的な動作部分にまでそれが日常的に存在するのは、
いかに日本人ではあっても”音楽家として”の私には理解しがたく、
またその環境で演奏をする、というのは自分には無理。
で、15年やってみて こりゃ日本のオケ方式に自分は合わないな、と辞めたわけです。(笑)

なので、これがアマチュアのオケであっても、
ドイツ式をベースにそれを好んでいる風情のオケには、基本気分が後ろ向きになる自分なのですが、
このオケは、かなり違っていました。
何年もそういう音を求めて集まっていると、集団としての気質にも変化が出てくるのかもしれません。
休憩時間の素朴で気さくな笑顔、練習中の意見の前向きなやりとり。
自由であることの楽しさと、同時に引き換えの、自己の責任感、というのが
ちゃんと両立され始めている場ではないかな?という感じがしました。

日本て、真面目だけれど、すぐに「無言の前提」「常識」「上からの指示」で誤魔化してしまうでしょ。そして、個々に責任が感じられないから、すぐに誰かのせいにして知らぬふりをしてしまう。
だからアグレッシブさや個々の思考の深さが無いし、
無いからこそ簡単にまとまる。
何かが起きても、同情はしても、
堂々と割って入って場を整理することは出来ない。
でも、芸術においてそれは、あまりいいことじゃないと思っている。
やっぱり、表現してナンボ、表現したいという気持ちが無かったら、
何一つやりようのないのが 音楽の世界だと思うから。

ここのオケに今回求められているのは
「50歳代のサウンドを」「ラテン的な雰囲気で」
平均年齢30歳弱のオケなのに~…。笑
でも、指揮者の求めんとする処、そして何より彼らの集う処、の意味が
そこにあるのだとも感じた。
つまり、具体的な例えをするなら、
フランスもののフォルテを弾くのに、ブルックナーやマーラーのような音を使うな、ということであり
誰か一人が(指揮者やメロディーパートが)強引に先導するのでなく、
互いが溶かす役割を認識しながら「自然なスタイルで」一つの音の集結像を作ろう、ということ。
そのためには、楽譜からただ音を拾うだけ、のような作業(そんなのは”JOB”だね)をするな、
音の繋がり、メロディーとして音楽を流すために、
絶対に楽譜の前で音楽意識を停滞させるな、
楽譜を閉じ目を閉じて互いを聴きながら弾いてみなさい、というような注意が飛ぶ。

若さではなく、大人の包容力や魅力を音で描こう、ということ。。。
ううう~ん、いいねぇ。。。と思った次第。
日本にこういうスタイルとそのための引き出しの豊かさを
マジで求めているオケ団体が
プロを含めていくつあるだろう?
どうせ日本の音楽ではないのだから、と諦めてかかるか
日本人の器用さや環境の良さを生かしてぐんぐんのめり込んで学ぶか。。。
おそらく、前者になりがちなのが現状じゃないだろうか。
給与体系というサラリーマン的な生活を背負い、日々時間の無いプロ団体なら
逆に余計そうなってしまうことも多分にありがちなのも、
わたしは自分で見て体験してきた上でがっかりしている。

この手の目標、やる方にとっては時間も手間もかかるのに、結果的には判りやすい派手さが出ない。
引き出しを豊かにするために、色々な知識や体験が必要な分
時間がかかるばかりで、音に変換しての手応えがちっとも出て来ないから うんざりしてしまいがちな目標だし、時には投資のためのお金だってそれなりに結構かかる。
特に、ドイツものだったら「構成」と「力」で語りきればそれなりに仕上がるが
フランスものなどだと、「音色」「和声」の淡い混じりを描くためのコントロール力が必須。
平均年齢の低めのアマチュアのオケでは「熱血演奏」に趣旨を置く方が派手で楽しいことも多いし
ストレスもたまりにくいから、
こんな目標を置くプログラムは、弾く側によほどそのつもりが無いと続かず、不可能だと思う。
ところが、このオケは…。笑

さて、そんなこんなを求めての今回のプログラム、
弦楽器セクション的には「ただ弾ける」、ことはもちろん要求された上で、
「どう弾く」の問題を、きちんと問われる。
しかも、ドイツ式に 一つの回答を指揮者やトップに提示されてそれに従うのではなく、
個々が自分のサウンドの引き出しを整理しながら
ひとつずつ互いで持ちよって、検証していかなくてはならない。
だから、個人個人が頭も凄く使うし、そのためのテクニックを柔軟にしておかなければならない。
音をイメージする上での想像力と、それに伴う学習とセンスも必須。
従って、練習中は何度もスコアを広げるシーンがある。
(耳で完璧に全パートの音の動きを覚え込んでしまっていれば、スコアがなくてもいいのだろうが)
パートチェンジもガンガンするらしい。
究極的な話だが、本番まであと一月を切っているこの時でも
ヴァイオリンパートは自分が1stか2ndかの、最終的な座席を決めておらず
シャッフルチェンジの可能性の中でリハーサルをしている。
つまり、どっちのパートも弾けねばならないし、それによって両のパートの存在の意味を
具体的に、リアルに知る体験を積むことが出来る。
(私もこの時は両パート弾かせて頂きました、現実ではなかなかそんな場はないので、準備は必要になりますが、とても楽しいことです。)
何となく音を出すのではなく、きちんと「音楽を把握する準備」をしていなくては
その場の参加意義が、半減してしまう場所。。。
おそらくこの方法は、管楽器よりも、他人頼みに陥りがちな弦楽器という集団セクションに、特に凄い効力がある。
あなたは、今この瞬間、ここでどう弾くことをベストだと考えているのか?と、個人的に、常に、問われている環境。
誰かにお任せし、それを乱さないことを念頭に弾くばかりでは全く駄目で、
自分の音楽的な能力を最大限に使って、常に周囲に発言したり問いかけるように弾いていなくてはならない。
(同様の問題を解決していくのなら時には、コンマス席やトップ席を巡らせてしまう、という手段だって有りかもしれない。)
逆に、管楽器群には、個人プレーではなく、
集団としての音色や方向性のまとまり、あなたは今ここでこの音楽のために何をどう吹こうとしているのか?、というものを
”皆から”しっかりと問いかけられることになるだろう。。。

オケ、というのは室内楽の延長、でもあり、
そこを追求しようとすれば必然的に向かう一つの方向性と手段が
このオケの採っているスタイルだと感じたが、
室内楽がそうであるように、オケが個の集まりであるとするならば、
その点を、愉しんでこなしていけるメンバーしか自然と残らないだろう。
となると結果的に、このオケはいずれ気長なキャラクターの
少数精鋭のような室内楽編成オケという姿になるのではないだろうか?とも思った。





今回のような、お金を取って披露する定期演奏会などでは、
よくある「若いアマチュアオーケストラの爆裂演奏」をついつい求めて
聴きに来るお客さんばかりだったら、”ハズレ”と言われてしまう覚悟もまた要る。
もちろん、アマチュアだとそれは団員の募集にも影響してくるだろう。

けど、このオケには、ちょっとなかなか他では見かけない
私個人としては「乗ってみたい」と思わせる、独自の魅力があった。
そう…今回のプログラムのように、珍しくヨーロッパの「ラテン」な風情があるのだ…。
まだ若いから、この後このオケにどんな運命があるのかは、わからないが。


さて、昨日「ペレアスとメリザンド」という
「青い鳥」で有名なメーテルランク(1862 - 1949年 ベルギー人)の戯曲を読んだ。



かんたーんに筋を言ってしまえば
淡い光しか届かない、北の海辺の古城が舞台。
後ろに森を控え、海の波は冷たく、
その古城の下には謎の洞穴があり、また庭には泉が湧く。
国は老王とその息子(ゴローとペレアスの父)が背負っているが
息子は病床に伏しており、
国は飢饉の状態で決して安泰、幸せという状況ではない。
ヒロインメリザンドは身の丈より長い金髪をもつ
おそらく、人間ではなく水の精、ととれる美女。
彼女の夫ゴローとその腹違いの弟ペレアスが共に
このメリザンドに惚れこんでしまい、結果的には不倫というか
三角関係というか…というあたりが物語のメイン。
でも相手であるメリザンドが何しろ水の精…というか人間離れして純潔な女性なので、
その恋は非常にプラトニックであり、
俗世の感性では到底説明できない女性。
最後に彼女の命と引き換えのように女の子の赤ちゃんが生まれるが
蝋のように白く小さな、とあるので、所謂処女懐胎に近い出産かと。

まぁ、筋を伝えたところで
とうていこの戯曲の、訳日本語文からすら匂いたってくる
途方もなく淡い、影絵のような曖昧で透明で清らかな雰囲気は
伝えることが出来ない。

ベルギー人だがフランス語で原文は書いている。
これをフランス語で劇上演すれば
それはたしかに、たちどころに人気になるだろう、というのは
読めばわかる。
今で言うなら、その捉えどころの無さや
曖昧なのに美しい「間」のような感覚は、
フランス映画の雰囲気に近いかもしれない。
当時もサラ・ベルナールがメリザンド役をしていたくらいだから
相当人気だったのだと思う。
(サラ・ベルナールは、ミュシャのポスターで有名な女優さんでもありますね。)
で、そんな人気の劇だったので
当世これまた人気だった作曲者たちが
次々とその劇に付随音楽やらなにやらを書いている。
イギリスの劇用にフォーレが、フィンランド上演用にシベリウスが、
そしてオペラ仕立てでドビュッシーが、
更にはシェーンベルクまでもが
この劇をベースに音楽を書いている始末。


さて、先のシーサイドオーケストラは、この曲をどう演奏することになるのだろうか。
終曲「メリザンドの死」など
明らかな葬送のモティーフが、激しい慟哭のようなフォルテで記されている。
これを、ブラームスやワーグナーのフォルテのようにせず、
フランス語の発音で慟哭するかのように弾くには。。。
難しいことだと思うが、
それを求めるチャンスが、”このオケに居たからこそあったのだ”、と思えば
それはとても幸せな運ではないだろうか。
これを機会にフランス語を習う人まで出てくるのかもしれない。(笑)

有名すぎる所謂”フォーレのシシリエンヌ”
月夜での最期の二人の逢瀬のシーンにそぐう音が出るだろうか?
全編、暗い緩やかな空気の中、光となるのは月とメリザンドの長い金髪の輝きだけ。
春に始まり、その冬には終わってしまう物語だ。

ロッシーニ、食道楽のイタリアオヤジのほがらかさ。笑
メンデルスゾーン、ドイツ語圏の人ではあるものの彼はユダヤ人であり、
その才能と音楽はドイツ系の音楽と一線を引いて捉えるべき存在だと思う。
彼のシンフォニーは、ぎとぎとの激しい油彩ではなく、
彼の遺した旅先のスケッチのような、端正な水彩画ではないだろうか。。。




メンデルスゾーンの描いた絵。こちらのブログより転載させて頂きました。ライプツィヒの紀行としても面白い記事でしたので、もしよろしければご参考に是非お立ち寄りください。


演奏はほんの短い、数十分の出来事だ。
けれど
それを紡ぐためには
人生の時間がどれだけあっても足らず、
また、それなのに
聴いて下さるお客さんとはもう、二度と出会いが無いのかもしれない。
同じ顔ぶれで同じ曲を演奏することも、もう二度とないかもしれない。
まして、別の機会に、同じ情緒で同じ演奏をすることなど、出来はしない。

命を掛けるほどのものではないのに
命を掛けてしまうくらいのテンションについついなってしまうのは、
そんな音楽の持つ一期一会の不思議さと愛しさ故だ。





50歳代の音ならぬ、還暦の音を日々省みる指揮者自ら
この合宿の夜は、和歌山蜜柑ひと箱を、手絞りにしては焼酎割を作って下さっていた。
マドラーが無い!と叫んだ後は、蜜柑を切った包丁が。。。(^0^;)


来月、このオケが更に、どんな音づくりをするようになっているのか。
難しい課題なので、おそらく、20年くらい続けて…
それこそ、本当に50歳になる頃まで、このオケの目標と魅力が音となることは
もしかしたら、ないのかもしれない。
でも、若いからこそ、同じ目標があって集う彼らなら
今回の演奏会で、「何か」を発見するかもしれない。
本番はもちろんのこと、リハーサルに行くのがとても楽しみだ。
だって、その発見に、自分は立ち会えるのかもしれないのだから。。。
それが、若い子に混ぜてもらえる おばばの密かな愉しみである。笑



※こちらの演奏会のお問い合わせは、シーサイドオーケストラの公式ホームページから是非どうぞ。
2011年3月6日(日) 開場13:00 開演13:30 
四日市市文化会館第1ホール 入場料 800円



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103.ステージの意味

カテゴリー │演奏日記

今日、とある生徒さんから
”本日をもって演奏活動を終了します”
というメールが届いた。
つまり、もう人前で演奏することを辞めようと思います、
という内容だと受け取れる。
彼は今日、とある場で演奏したばかり、というタイミングで
おそらくこれを送信してくれた。

もちろん、アマチュアの生徒さんなのだから、
厳しい見方をすれば、そもそも演奏活動といえるものをしていたのか?
という声も上がる可能性はあるが、
人前で弾く、という行為に対し、
それは彼なりの責任感を持ってやっていたことの証でもあろうと
わたしは思って、その言葉を聞き、把握したのだが、
そうなってくると、
ここにアマチュアかプロか、の垣根などなく
本当にシンプルに
自分の演奏を恥ずかしいと思ったか、ということに
”彼自身が”突き当たり、そこにまた尽きる結果の発言だとも思った。

そして、自分の演奏を、”恥ずかしい”と感じることの出来た彼を
わたしは生徒さんとして持てたことを、
とても嬉しく、また誇りに、そして
どこかで縁のあるひとなのだろうな、と感じた。

実は、過去にわたしも、
ステージに立つことに向いていないな、と
本当に感じ入り、自分の演奏を恥に思い、
演奏する、ということを
非常に辛い負荷に感じた本番が何回かあった。
約15年の間に、思い出すほど酷かったのは
2度はソロ、1度は室内楽、オケで4度。
どれも、明日にでも辞めるべきじゃないか?と思った。
それは、原因そのものが
自分のキャラクターと、密接に関っていることだと感じたからだ。
(だから、今から使用としている話は
合奏なら大丈夫で、ソロならダメ、とかいう話じゃない。
ここでする話には本質的に、その3つの形態の間に何ら違いはないから。)

ヘンな話に聞こえるかもしれないが、
自分の”存在を”、恥ずかしい、と思うのに
それはとてもよく似た感覚だった。
そして、
何でいつまでもこの楽器と職業に執着しているのかと
情けなく、また
その職業に対し、私が存在することが
冒涜的なことのように思えて、
穴があったら入りたい、という以上に
自分のステージ人としてのその場の存在を呪った。

これにはしかし、落とし穴があることにまた
気付いた。
それは、自分がどう評価されるのか、ということに
妙にこだわりすぎていることの結果ではないかと。
簡単に言えば
わたしが下手であろうと何だろうと
クライアントさんからクレームがつかない範囲である限りは
単なる、情けないほど単純な、
目標と現実の間のギャップによる、非常に”個人的なジレンマ”でしかないのだと。
そして、
それを恐れれば恐れるほど
ステージの恐怖は増す。
つまり…自分で自分を過剰に評価したいと思うから、失敗を感じて勝手に恥じているのだ。
でも、一方でこれは必要な感覚だとも思う。
そりゃ、楽曲に対する敬愛の気持ちや
自分に対する理想像が無いのならば、
そもそも上がりも、失敗の自覚もなく 常に無事済ませられる。が、しかし、
それでは上手くもならないのだから。


”自分は、満たない存在である。”

これを認めるというのは
実は簡単なようで
本当に辛いことなのだと、
初めて実感として体得できる経験が
ステージの失敗、というもののような気がする。

普段は
”神様じゃないんだから”とか
”完璧な人間なんていないのよ”と
わかったふうなことを口にしながら、
自分が満たない、ちっぽけな存在なのだ、と
”確信”し”自認”しなくてはならない事態というのを迎えてみると、
それはもう
途方もなく、ショックなことなのだ。

そして…ステージという場所は
いやおうなく、それを自分に直接的に差し向けてくる。

あんなにさらったのに、
あ、私、めっちゃ下手。
ってか、”あんなにさらった”って
それ、一体どれだけ?
私がそう勝手に解釈した分量でしかないんだよな…
などと、非常にリアルに。(笑)
こんな葛藤が、ステージ上で
弾きながら起きたりしたらもう、本当に
最悪の結果を”その時点で”生んでいることになるのだが…。
そして、そこから悪循環が起きていることもわかっているのだが
一旦、あそこで自覚してしまったら
よほどな精神力(楽曲自身に対する集中を取り戻す力)がない限り
もうそこから逃れる手はない。笑

下手、といったら、下手であって
それは、もう誰が慰めの言葉をかけてくれようと
立ち直れないほど傷心の極み状態になる。

本番のステージ上というのは、ともすれば、
自分で自分をコントロールできない!、など
日常生活では考えられないようなちょっとした動作すら、ままならなくなる状況がたまにおきて、
またそうなって初めて
あ、35年も弾いてきた、なんて
一体なんだったのかな?
みたいなことが、起きることがある。。。

自分は満たない存在である、
その”恥”のようなものを
感じられるというのはまた、
「謙虚」とかいう言葉のもつ理路整然とした正当性や責任の問題じゃなく、
音楽を愛している人間にとっては
一種の愛の形のようなものなのかもしれない。

この曲は、こんなふうに奏でられるべき曲じゃないのに…
その辛さは
全てが自己責任というステージの上で
わが身の足りなさを、ただ自分にひたすら提示してくる。
あれは、お客さんに対してはもちろん
しかしまたある意味それ以上に、楽曲に対して、ごめんなさい、としか
言いようのない辛さだ。
そして、自分がそれでも、少しでもなんとかならないか、と
あがくことの又、恥。
一体、誰のために、何のために何をどう奏でているのか、もう
訳がわからなくなった混乱。
誰も、自分に期待なんぞしていないぞ、
お前一体楽曲に集中も出来ず、こんな所で何やってんだよ、という
クールな自分の心奥の声。。。笑

一見、図々しいほどの精神の持ち主のようにみえる
ステージで上がらない奏者、もしくは上がっているように見えない奏者というのも
その点からいえば、
自分で自分を判っていない、または楽曲に対する敬愛の念もない、だから上がらない
のか
もしくは
上がっているのだが、練習の積み重ねによって結果的にそう酷くリスナーに問題を感じさせていない
のか
もしくは
非常に強い精神力で、弾くことに集中して
そういう一切の思考回路を断ち切っている
のか
…そのどれかのような気がする。


それでも、私は幸か不幸か
周りに助けられ、成り行きも手伝ったりで、
演奏する、という場から去らずに今日まで何故か存る。

そんなことをしていると
向いてなかった、と思うほどの本番を、
いくつかのまた次の本番によって
乗り越えては 続いてきただけなのかも、…というようなことにも思い至る。


自分は満たない存在だからこそ
楽器を奏でることを辞められない。

そんな理論が導き出されるような気がする。
そして、その理屈がある限り、
楽器を奏でる、ということが
自分に対してであると同時に、
他者に対しての行為でもある、と、いうことを
認めざるを得ない場所、ステージがあるからこそ
その論理について自分で自分の首を絞めつつも
成長してこれたような気がする。
つまり…弾くことが自分に対しての目的値だけ、であったら
怠惰な生物である私は
おそらく何の成長もせずにきたのでは?というような。。。
上手くなるまでは、やめられない、
上手くならないかもしれないけれど
自分の一生を少しでも自分にとって意味のあるものだと…
お客さんに少しでも、一度でも自分の意思伝達がちゃんとできたら…、
それに賭けてみるには
演奏という場が自分にとっては一番シビアに、その結果を感受できる場なのでは?…というような。
そんな
果てしのない思考。


誰よりも、自分で自分の情けなさを知っている、というのは
とても大切なことじゃないかと思う。
弱点から目をそらしても
ひとは成長しない気がするから。

楽器は素直だから
私という人間を、そのまましか表現してくれない。
それは、ともすれば
いい楽器を持てば持つほど
のしかかってくることかもしれない。
それが、楽器の怖さであり、素晴らしさでもある。

そして、
人前で演奏すること、
楽器を奏でること、
諦めず弾き続けること、などの、
本質的な意味は、その辺りにあるような気がする。

わたしはいつまでたっても、満たない存在である。

そこに本気で諦めがついたとき、
自分という人間の持っている一番深い温かみが
他者に伝わるような気も、する。

そして、これがまた
一番の奏でることの、最終的な醍醐味なのかもしれない。と。

ひとの一生は、
そんなことを考えていると
けっして長くない。
いや、長くないんだな、と気付いたときというのは
おそらく、何らかの傷をもったときから始まるものなのだろう。

そして、やはり、思うのは
”辞めることはいつでもできる”
でも、それは
自分の足りなさから目をそらすことであってはならない。
そして、
演奏の他にわたしがわたしを律することの出来るものはないのだから、
ならば、
もう少し、もうすこしだけ、頑張ってみよう…、
…そんな繰り返し。


おばあさんになった時に、
どんな音色を私が求め、奏でているのか、
私は、それだけを楽しみにしている。
今は、自分が満たない存在であることに、まだもう少し、諦めがつかない。
いったい、どれだけ手痛い失敗をしたら
この 諦め、という甘やかな理想郷に到達できるのだろう。。。笑
私に手指と耳がある限り
このちっぽけな望みは捨てられないかもしれない。

ただ、馬鹿なだけ、なのだろうけれど
それでもいいじゃないか、と思いたい。
恥をかき続けてなお、
わたしは次を夢見てそれを支えにしている
馬鹿でちっぽけな存在。

でも、多分それは、恥じゃないのだ。。。
(プロである限り、その責任は深いけれどね…)

そこに楽器があれば、誰かに向かって奏でるしかない。
多分、自分の望みどおりに上手く弾けちゃったら、その時、辞められるのだろうね。
ヴァイオリン、嫌な楽器だ。。。笑




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089.ようやく一段落

カテゴリー │演奏日記

ずっと気を揉んでいた仕事が先日
とてもいい形で終わり、
この二日、弾きまくり後遺症で(笑)
体中が筋肉痛になりながらも
気持ちよく、休暇を取りました。

こちらのブログからご依頼を頂いた
養老ホームでの演奏だったのですが、
かねてより
そちらの仕事については
自分の演奏目的というのか
人生設計的な目的というのか、
運命的にも課せられた目的というのか、
…色んな意味で、
まさしく、利己と利他が合体する「自分に適合する仕事」だということを
感じて来ていましたが、
今回も、それを再確認させて頂くことが出来ました。




こちらは認知症の方の集まるロビーで。

まだまだ、現場で
試してみたいこと
やってみたいことがありますが、
順々に…。
お年寄りが相手の場合は特に、
自分のような若い人間には覆い尽せない
深い処があると感じるので、
ひとづずつの本番を
大事に、丁寧に、確実に、
聴いて頂く方にはもちろん
自分のためにも、
しっかりと積んでいくしかない、と思います。


そのためにも、
こうして一段落したら、
またいつ入るかもわからない
その本番の時へ向けて、
色々な下準備に 日々専念。
…これが、プロだからこそ出来ることなんだ、
と、自分の人生へのあらゆる関わりへの感謝と共に、思いつつ。

基礎練習。…ボウイング、スケール、バッハ
そして、未知の部分の自分を伸ばすために
新しい曲への怖れないチャレンジ。

並行して
知識の広い畑を読書に依って摂取し
様ざまな芸術の道筋の在り方
価値観の違いや共通性を
演奏会や旅や種々情報でいろいろなひとから教えられ、
発見し、
それらから
さまざまな人間の思考を
柔軟に捉え、
自分の中で練って練って…、最後に
自分の意識と自分の在り処を携えること。
それを演奏や教える行為の中に
息づかせること。
自分の感性に素直で居ること。
勘を信じること。
風に乗ること。

鳥とのお喋りも出来るようになりたいし、
また海外へも旅に出たい。
ヴァイオリンを弾くということは
なんて多くの好奇心と出会いに満ちているのだろう。

そして
支えられていることを嬉しく想い、
自分もまた誰かを支えている時があれば、と思う。

音楽は、わたしにそれをすることを許してくれる
有難い、天からの力強い贈物だと
この頃、つとに想うようになった。

自分が幸せでなくては
周りに幸せを播くことなど、出来ないのだ、とも。クローバー



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※養老ホームなどでの演奏依頼詳細につきましては、こちら№031「養老ホームでの演奏」をご覧ください。


♪♪====♪♪♪♪====♪お問い合わせ♪====♪♪♪♪====♪♪


クローバー岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜三ケ日・名古屋ヴァイオリン教室クローバー

私岡田のプロフィールは、サイドバー上部の「プロフィール」欄をご覧ください。
連絡先:メールは、こちら手紙メッセージを送る」をお使いください。岡田に直接つながります。
電話:一旦メールを頂きましたら、ご返信にてお伝えさせていただきます。(非通知設定の電話は受話致しませんので、ご了承下さい。)
住所:浜松市北区三ケ日町鵺代
       電車天竜浜名湖線「奥浜名湖」駅下車徒歩
詳細はこちらもご覧下さい。
◆ ※名古屋市内自宅にても、賜ります。◆

パーティー、披露宴、記念式典、医療施設、学校などでの演奏も
賜っております。

詳細は♪演奏のご案内♪をご覧下さいませ。

ちょっと自宅で演奏してほしいのだけれど、
こんな予算内でどんなことが可能?、
どんな曲でも弾いてもらえますか?、
ピアノがない場所でも何か弾いてもらえますか?など、
初めてのことで、なにもわからない、という方も安心して
気になることがあれば、ご遠慮なく、即ご相談メールを下さい。
演奏歴20年クラスの音楽家の繋がりを持っておりますので、
演奏者に直接依頼できます分、お安い価格で賜れます。
ご予算に応じ、お客様の願いを形にするための
場に的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこと、
全てお任せ下されば長年の経験をもって
準備段階から会場スタッフの方とも連携し、各シチュエーションにふさわしい演奏を、確実な技術と素敵な選曲でお約束致します。
お問い合わせは、是非こちらのフォームをお使いの上「メッセージラブレター」よりご連絡下さい。
また、企画コンサートのご相談、演奏会のチラシデリバリー、
リサイタルなどのスタッフ業務などのご相談も、是非どうぞ!










 

084.おちゃめ。。。

カテゴリー │演奏日記

昨日共演して下さった
作曲家でありギタリストであるジェイソンさん
お疲れ様メールをお送りしましたところ、
とっても楽しいYOUTUBE画像を
教えて頂きました。waoくす玉

というのはですね…ハート
こちらで彼が演奏している曲
”Falling Through the Cracks”が、
昨日演奏して下さった彼のオリジナル楽曲のうちのひとつなんです。キラキラ
アフリカのサウンドを使った、面白い曲ですし、
彼のキャラクターのなせる結果とも言うべき
今話題の「癒しの音楽」の風情も多分に備えています。

ソレデハキラキラ
…彼のオリジナル曲の一部と、そのおちゃめさを、お楽しみくださいハート

http://www.youtube.com/watch?v=Ik75Kc2ERA8


男性は、楽器が弾けるとモテる、なんて話を
昔聞いたことがありますが、
これって、今でもそうなんでしょうかね???

そういえば、彼のお子さんもハーフなわけで
めっちゃくちゃ可愛いびっくり
奥様も相当な美人なので…追いかけてきた、というのも納得。笑
当然なんですが、その子の美しさときたら
もう、天使。
羽をつけてほしい!と、本当に思います。。。

昨日の本番用の彼の楽譜には
赤い鉛筆で
丁寧に、パパの絵が描かれていましたハート
「今日ね、出掛ける前にね、時間かけて、書いてくれてたよ」と
見せて頂きましたが。。。
あぁ、ゆるゆるる~ひよこ


素敵なご縁に恵まれて、
わたしもこの上なく、幸せです。
これからも、どんな出会いがあるのでしょうか。。。クローバー

演奏を通じて、
また、皆さんにも
どこかでお目にかかれますようにハート



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083.サクラカフェ・ライヴ終了

カテゴリー │演奏日記

雨の中、今日は少人数で
相当贅沢な?名古屋でのライヴとなりました。

ご来場下さったみなさま、
本当にありがとうございましたハート

トータル正味一時間ちょっと、
ボッサのリズムに色んな楽曲を乗せて
約20曲を
お送りいたしました。
そして…
なんと、プログラムに掲載しなかった
ジェイソンさんのギターソロ作品も、
二曲お届けしましたキラキラキラキラ
I Falling Through the Cracks
II Late Spring Brooklyn Through the Window(世界初演)






こちらは、リハの時。
なんか、楽しそう。笑
ジェイソンさんのサウスポー構えも
カッコいいですよね。。。
おバカな話ですが、今日になって初めて
そんなことに気付いたんです。(^^;)

のんびり穏やかテンションの明るい二人なので
サウンドの相性も良い。
リハもゲネも、ほーんわか、のーんびり家
音楽ジョークをしながら愉しみました。

で、本番。



楽しかったです、本番も~指輪キラキラ
どんどんアドリブも着想されて、
とりとめが無くなりそうなのを、必死で制御。笑










曲終りのアイコンタクトも、こなれたもので
バッチリ。



マネージャー役担当の旦那さんが撮ってくれたこのタイミングも
なかなかいいでしょ。笑
彼には今日一曲、マラカスで特別出演も
お願いしました。キャー

というわけで、
無事、終了いたしました。

暫くライヴの予定はありませんが、
また
あ、いいな、やって欲しいな、と思われることがありましたら
いつでも、お声をお掛け下さい。

夏休みには、三ケ日教室にて
無料のライヴコンサートも企画しようかな、と
そんなことも、今考えています。。。

雨の向こうに、
夏が海と一緒に、待っています。

今日も、穏やかで優しい時間を
ありがとうございました…ハート


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082.本番前日

カテゴリー │演奏日記

せっかく、本番前の日の夜に
めずらしくもキラキラ
これを書こうかと思ったので、
この独特のテンションを書きたいものだ、
とも考えたのだが…

はて、
書こうとすると
何か
留め度が無く。。。あれれれれ…汗

ふと気付けば
じゃ、何を書くよのさ。。。
と、ピノコになる。

そうなんだ、
本番前の夜って
物理的な準備をする以外
…楽譜よし、譜面台よし、ハンカチ鼻紙よし、楽器の具合よし、ドレスよし…以外

意外と何も
ホントニ
何も
無いのだ。

いつもと、同じ。


あえて、何かをするのであれば
昼間の間に
絶対に、やり終えていないといけない。

でないと、
唯、

眠れないことになる。。。(^^;)。。。笑


いいや、あなどるべからず
睡眠!!!!!

集中力は
絶対的な威力をもたらすと、
個人的には確信している。
仮に、
練習が今一つ、あと一歩、間に合わない状況でも、
たっぷり寝ていたら、
何とかなるものだ。絶対に。

そ、所謂 集中力で。
そして…それは、睡眠次第。。。。

だから、
寝る。
今から出来る最高の準備は
眠ること。
それも
無理なく、自然な眠り。
集中力は
睡眠に、依る。

睡眠が、
間違いなく
明日のパワーの秘訣になる。

パワーは、集中力から引き出される。
集中力は、睡眠から引き出される。

寝るぞびっくり

あぁ、今日も シアワセだったなぁ~。。。

本当に、くったりと
子どものように
幸せな顔をして。


あ、でも、…
天気だけは
何ともならないけれどね~。

どうか、そこそこでいいから
あるいは、開演の時間だけでもいいから、
晴れますように。。。太陽

無理かもしれないけれど、
諦めず、
祈ることも、
とても大事。

聞きに来て頂けない皆さんにも
晴れますように、って
願って頂けたら、
こんなにうれしいこと、無いです。
あ…ずうずうしい?(笑)
ん、でも、それも、本番前ナラデハ、です。あれれハート


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071.美しい在り方を意識し、探すこと

カテゴリー │演奏日記

まず、ひとつお知らせ鉛筆を先に。
今後の公演のお知らせは
右の”けいじばん”欄にいつも記載しておりますが、
5月23日サクラカフェの内容が
若干変更になり、
まだ未定の部分が増えました
ので
詳細が決まり次第、後日情報を追加しておきます。♪黒

さて。

このところいろいろ
私にとって何がある、というわけでもないのですが
岡田の周辺にはいろいろと変化があり、
何気に私もその影響を受けつつ
ぼちぼちとやっておりますが、
その実は、4月下旬、5月上旬は暇で…ハート
思っており、
さて、じゃあ三ケ日でのんびりしようかな、
たまった本でも読もうか本
ガーデニングサボテンでもしようか、
などと余裕をこいておりました。笑

ところが、
昨晩は仕事のオファーが
何故か立て続け。
プログラム作りと連絡に
わらわらくらくら。。。
あっちの楽譜を調べ、こっちの楽譜を開け、
気付けば自分の周りが楽譜の山本本本

ひとつは音楽事務所からチャペル挙式での
スタンダードメンバー募集の相談でしたが、
こちらは、土日を空けておきたかったのと
かなりギャラが安かったため、
基本お断りし、非常事態のときだけ伺うことに。

もうひとつは、素敵なマダムからキラキラ
パーティーでのBGMのご依頼でした。
一度も顔を会わせたこともなく、
初めてここのブログを経由して
ご連絡を下さるラブレターというパターンが定着し始め、
まだ1月に始めたばかりのこのブログですが、
ネット情報の網のサイズのすごさに
多少おののきます。。。笑

さて、
お電話でお話しするだけでも、
あるいは、メールでご連絡を頂き
やりとりするだけでも
相手の何らかの雰囲気を感じる、というのは
よくあることですよね。電話

昨晩、ちょっと遠出をした後だったので
仕事の打合せのやりとりをするのは
ちょっぴりきつかったのですが、
すぐにお返事をするべき日程に依頼があったので
お電話をしてみました。
そうしたら…
サクサク、とした楽しい話し方、
言葉遣いの選び方やお話しされる風情に
無駄がなく、正直な美しさを感じる、若々しい感じの女性でした。
こういう時って、とても嬉しいものです。ハートキラキラ

こうしたクライアントさんとのやりとりのひとつひとつ双葉
時には直前にはあったはずの疲れを忘れさせ、
そして、仕事の愉しさの虜に一瞬してさせられ、
それは
本番までの演奏テンションにも
とても影響を与えてくれます。キラキラ

そして思うのは…、
あぁ、常日頃から
ささやかな自分のふるまい
大切だな、と思います。
その在り方によっては
全く無意識のうちに、
誰かを元気づけることがたり
あるいはがっかり感をつのらせてしまったり、…双葉


それは、おそらく、どんな仕事であっても
その仕事のやり方や考え方の
あちこちに、それがおのずから出てきては表れていて、
第三者からははっきりと窺われるものなのだ、電球
ということでもあると思います。

ひとは見かけによらない、ともよく聞きますし
やっぱり第一印象が全てよ、なんてこともよく聞きますが、

ダイエットしたり、美しいものを着たりするキラキラ
そういう視覚的な鏡の前だけのイメージだけではなく、
話し方や、ものの書き方、言葉のちょっとした選び方、という
本当に何気ない一切合財の全ての行為
そのまま、外の人間関係全てにおいて
”自分を表すサイン”になっているのだなぁ、と思えば、
日常を大切に過ごすことへの意識花
ぐっとアップするのではないでしょうか。
単純なTPOと呼ばれるものや見せかけだけじゃなく。。。
自分の真実みたいなものから出てくる、
いろいろな無意識の行動についての意識。。。ハート

…そう、例え匿名のネットの掲示板や書きこみであっても
あるいは、電車の中などでの
もう二度と会うこともないかもしれない他者へのちょっとした気遣いが、
全部、そのまま、自分を表していて、結果的にも
見えない場所で次から次へと何かが連鎖し、
実は、最終的にぜーんぶ、自分の元へ帰って来るびっくり気がするのです。


そういえば、自分の歩いている姿人差し指、とかのチェックも
とても大事ですよ。
これが美しい人は、意外に少ないもの。うわっ
外に出れば、誰もが誰かに見られているのですから
美しくあるための日常意識の向上努力は大事です。。。笑
それも、見かけ倒しの偽善や、ポーズでは続きませんから、
自分を冷静に一度見て、
それに一番ふさわしい在り方を探さないといけない、という
そういう行為が大前提になります。
誰かにとって美しくても、自分にとってぴったりと同じように美しいとは
全く限らないから。

私たち演奏家の場合は…
ステージの袖から、センターに立つまでに
お客さんにはもうすでに
弾く前・聴く前から、全部聴こえているわけなんですネ。びりびり
ふぅぅぅぅ。。。。(^^;)
努力努力。笑


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070.MISAYAライヴ終了

カテゴリー │演奏日記

想像以上のお客様に集まって頂き、
今回はとても賑やかな
楽しい時間になりましたキラキラキラキラキラキラ




マスターの出して下さった
デキャンタに入ったロゼの
その美しい色合いが、
昨日の記憶にそのままのよう。。。花束

すごくよかった~、と
笑みをたたえて応えて下さる
その嬉しそうなお客様の顔や拍手に、
サービス意欲もますます。。。笑
BGMスタンスもありで、どう作ろうか、との意識だったので
思いがけないお客様のリアクションに
かなり嬉しい刺激ハートを与えられました。


生の演奏は、今という時代だからこそ
大事だな、と現場でリアルに感じつつ、
私にも何かが出来るかな、
何だったら出来るかな、
どうしたらもっと充実した演奏が出来るかな、
どうしたらもっと感動してもらえるかな、…
そんなことを
次への奏でることに対する意欲として与えられます。

来てくれた友人がこう言ってくれました。
「あんた、お婆さんになってからでもいいで
あの時聴いたクレーメルみたいな音を、出せるようになってよ。」
うひゃー、望み高~。。。(^^;)
彼女とは、クレーメルの演奏会へ一緒に行って
生の音を聴いているんですよね。。。
厳しいとわかりつつ、しかし頑張ります。笑
俄然、そういう要求は嬉しいものです。




弾いているからこそ得られるギフト、
聴いて下さる方がいるからこそ得られるギフト、
私からお客様へ
そしてお客様からも私へ。
また次も
そんなギフトのやりとりを持てますように。


MISAYAのみなさま、
ご来場のみなさま、
そして共演の方、
本当に本当に、ハッピーな時間を
ありがとうございました。。。ハート








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067.写真を送って頂きました。

カテゴリー │演奏日記

今朝、
先日moimoiさんでのコンサートの写真を
長篠にお住まいの写真家、福田豊さんより
たくさんたくさん、送って頂き、受け取りました。




クラシックの演奏中の写真は
シャッター音やフラッシュなどを避けるために
撮影が難しいことが多く、
写真家さん泣かせなものなのですが、
綺麗に撮って頂き、とっても感謝です。

福田さんはシロさんの写真の先生でもあり、
シロさんが声をかけて下さったので
ライブ会場で初めてお会いすることが適った方でした。

さすが、そういうカメラマンさんだけあって
開演前にご丁寧なご挨拶を頂き、
私としても、純粋なクラシックのライヴではないので
むしろこれを機会に
いい写真を撮って頂きたいと考えて、
演奏中の撮影と、送付を、むしろお願いさせて頂きました。





さて…
何故、クラシックの演奏中に
シャッター音やフラッシュが御法度なのか、
常識として知っている、ということはあっても
その内容は意外に知られているようで知られていないことかな、とも思い
今日はそれを書いてみようと。

シャッター音:
クラシックの場合、弱音に非常に奏者がこだわります。
生のアコースティック楽器の演奏は、
ダイナミックレンジ
奏者自身がいかに現場コントロールして一曲を構成するのか、
音の立ち上がりや減衰を、いかに美的に印象付けるか、
これらは、奏者が一番と言ってよいほど練る部分でもあり、
聴衆にとっても、聴きどころにもなるわけです。
これは、ポップス系ととても異なる処です。
例えば、銘器と呼ばれるヴァイオリンの高価な類のものは
この弱音の、ホールでの通りの良さが
明らかに、安い楽器と異なります。
安い楽器は遠鳴りがせず、指向性が強いことが多いのですね。
こっちの席では聴こえたけど、あっちの席では聴こえない、など…。
そして、弱音がかすれたり弱弱しかったりするのではなく
すーっと飛ぶ、これが銘器の大条件でもあるのです。
お客さんも、これを聴きどころ、愉しみの一つに、カウントしています。
そして、これらの通り方も
ホールによってそれぞれに特徴があり、異なるので、
現場での音響のチェックは入念にします。
しかし、マイクで拾って音響さんがいじって”造音する”、というのではないので
あくまで、人の耳だけでの確認作業になります。
ステージでの立ち位置ひとつで、大きく変わることもあるので、
これらは本番前の大事な作業です。
弱音の話は深いので、いつか別項目で記事を起こそうかな。笑
つまり、奏者の実力も、
フォルテではなく、ピアノ、という弱音量の物語りにこそ現れる
のです。
となると…シャッター音が問題になってしまうことが多くなるわけですね。。。
雰囲気が瞬間、遮断されるので、物音全般要注意、ということでもあるのです。
奏者の集中が途切れると、もういかにその前を作り上げていても
一瞬にして、全てが、取り返しがつかない状況になってしまうんですね。

なので、クラシックのコンサートの撮影の場合は
ゲネプロなど、本番前にプログラムをざっと通す時に、
本番衣装で臨んで撮ってもらう  というパターンが一般的です。
(デジカメの場合は、音の出る部分を押さえたり覆ってもらうだけでも、多少効果はあります。
ざわめきの多少ある会場でのコンサートなら、その手がかなり有効でしょう。
但し、ネットなどに掲載する場合は、基本的には奏者に一言断るのがマナーです。)

フラッシュ:
これも簡単にいえば、奏者の集中の途切れの他にも
聴衆側の視覚的な違和感のために、問題になります。
フラッシュ…閃光、なわけですから、聴いている方にも
音楽の静けさや緊張感あるいはくつろぎ感とは、別のものがそこで起きてしまう。
奏者としては、暗い客席に向いてスポットで楽譜を見ている場合、
眼つぶしがおきて楽譜が白く飛んでしまい、見えなくなることもあります。
オケなどでこれがあると、かなり悲惨で、
指揮者や楽譜が瞬間でも見えなくなるのは、とても かなり!不安なことです。
クラシックはとにかく、瞬間瞬間の全ての連鎖が綿密・繊細に、
奏者の集中で繋ぎ合わさっている
ので
たかが瞬間、されど瞬間、というわけなんですね。。。
なので、明るい客席かつ明るいステージ、での場合は、
フラッシュが邪魔ということは
まず物理的・現実的にはありません。

あとは、以前にも書きましたが、
プロ奏者の場合は肖像権や演奏の録音物著作権の問題があるのと、
あと、…これも落とし穴なのですが、
お客様が写る事態にも、注意が必要です。
ライブを聴きに行く、という
非常に個々にとってプライベートな時間を他者が切り取る作業なわけですから、
偶然撮られていて、それがネットなどに流布されると
個人的にまずい、という事が知らない場所で起きる可能性も
充分考慮しなくてはいけないと思います。

楽しい記憶を、楽しく保持するために
写真や動画はそれらを配慮したうえで
上手に使いこなしたいものです。



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064.moimoiライブ終了

カテゴリー │演奏日記

昨晩は、moimoiさんにてのライブで
本当に素敵な時間を持つことが出来キラキラ
そして
素晴らしい心のギフトを、皆さまから与えて頂くことが出来ました。花束

沢山ご来場下さったお客様クローバー
モイモイさんの店長さんスタッフさんクローバー
お声をたくさんかけて下さったシロさんクローバー
佳きボサノヴァギターの相方さま、そして奥様クローバークローバー
そして、愛すべき頼りであるうちのだんなさまクローバー
皆さま、ほんとーーーうに、
ありがとうございました。。。クローバー

まだ、昨日一日の本番パワーを使いきった後のだるさで
多少ぼーっとしておりまして、笑

詳細な記事を書く気力が無いので、
すみません、また
後から、アップします。(^^;)

とりあえず、皆さまにお礼を伝えたくて、
短いですが、
以上。。。ハートハートハートハート

今日のところは
名古屋の自宅でのんびり
パワーの調整を致します。笑


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060.コンサートの記憶

カテゴリー │演奏日記

遅ればせながら、笑
先月のコンサートの様子が
「であい」さんのホームページに掲載されておりましたので
ご案内させて頂きます。

カレー&ギャラリー であい

演奏会の後のこういう記録って、
なんだか、ほわんとした、優しく嬉しい気持ちがよみがえります。
そしてまた、
写真に映ったお客さんの笑顔を見て、
ホッとしますクローバー。。。笑
あぁ、喜んでいただけたんだな…と。
なので、私にとって記録はとても大切です。
もうちょっと、頑張ろう、という気持ちにさせてもらえます。


そういえば、昨日
楽譜の整理をしていたら、
7,8年くらい前に
特別授業をしに行った小学校からの封筒を見つけました。

中身は、生徒全員からの絵入りの感想文キラキラ
先生の撮って下さった写真でした。
当時は忙しくて、ざーっと見ただけだったのですが、
昨日ゆっくりと1枚ずつ丹念に読み返して
やはり、とても嬉しい気持ちになりました。
特別授業で先生をしに行ったのは数回ありましたけれど、
感想文を頂いたのはこの一度だけで、
考えてみたら、もうこの小学校3年生の子たちは
高校生なんですよね…。ハート


また、近々、ここで簡単にアップしてもいいな~…と
考えていますので、お楽しみに。

そうそう!もうすぐ湖西市利木のmoimoiさんでのライヴですびっくり
お問い合わせ電話 cafe-beach moimoi” TEL 053−578−3888
 open10:00〜close21:00(L.O20:30)  close 水曜日
静岡県湖西市利木226−1
地図はこちら

みなさま是非お越しください花花花
くわしくは指輪キラキラこちら



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057.三ケ日公民館レクチャーコンサート終了

カテゴリー │演奏日記

昨日、無事三ケ日公民館でのレクチャーコンサートを終了しました。



殊更PRをしなかったのにも拘らず
出身地での初めてのクラシックの演奏でもあり、
(そもそも田舎なので芸術関係公演自体が殆ど無い…)
近隣の同級生のお母様たちが
およそ30年ぶり、と思われる中沢山来て頂いたことには
本当に嬉しく思いました。

前日朝方までかかって資料準備をし、
まるで子どもの夏休み明けの宿題提出のようでしたが、
その辺りも自分の学習能力の低さを思わせます。。。(^^;)

が、無事、助手役をしてくれた主人のおかげもあり
また、当日は三ケ日でのお弟子さん第一号のシロさんのヘルプもあり、
またまた、担当者藤山さんの丁寧なフォローのおかげ、
またまたまた、ご紹介してくださった成田さんのおかげによって、
充実した一日となりましたことを、感謝致します。




第一部はレクチャー中心に、演奏、トータル55分。
「クラシックの面白い聴き方~バッハからヴァイオリン・ヴィルトゥオーゾ発展まで」
というタイトルにのっとり、
J.S.バッハ:無伴奏パルティータ第3番よりプレリュード
J.S.バッハ/ヴィルヘルミ:G線上のアリア
パガニーニ:24のカプリースOp1より24番
イザイ:無伴奏ソナタ第2番よりオブセッション
を演奏。
更に、通常のモダンヴァイオリンと比較しながら
バロック・ヴァイオリンも紹介。
咄嗟の持ち替えは厳しいものの…(^^;)
J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第一楽章
も聴いて頂きました。

5分休憩後、第2部。
休憩時間にホワイトボードに
参加者の方に”キラキラ星”の出だしフレーズについて
何らかを描いて(書いて)頂き、
それについて”形容詞ゲーム”。
…参加者全員にそこからくるイメージを発言してもらう。
で、それにのっとり
わたしがお二人の描いたり書いたり(笑)して下さったものを
即興で演奏に置き換え、全員で作り上げたキラキラ星を公開する。
私的にはなかなか、面白かった。笑

それから、二部後半では
聴講者からヴァイオリン初体験者4名を募り、
一人あたり3分の突貫練習で、キラキラ星演奏に挑戦!
最後は参加者4人全員で合奏キラキラ
これが、凄かった!



一人3分の教授と自力練習10分で、
なんとかやれることはわかっていたからこそ
この企画をやったとはいえ…
これが、想像以上に上手かった!!
感動しました。
参加者の皆さん、凄いです。
素敵な時間をありがとうございました。

で、残り15分が第3部。
これは私の演奏を、
今日のテーマの概念のまとめとして聴いていただく
ミニコンサートの形式。
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、全楽章。



気持ちよく弾きました。
特に、第二楽章は好演が出来たかな、と思いました。

ソロの、しかも無伴奏の演奏というのは
精神的に負荷が重く、
弾く…音を出すその瞬間までかなり辛いのですが、
結果、皆さんのあたたかな雰囲気の中
充実した演奏が出来、私自身にとっても
密度の濃い二時間となりました。

これからも、こういう一つずつの公演を
私らしく、自分にとっても、やってよかったな、と思えるような
何らかの成果を得ながら、意味のある経験を目指して
みなさんと過ごしてゆきたいと思います。

”利己、と利他、は自然な状況においては必ず一致する”
それを信じています。

本当にありがとうございました。クローバー

次回静岡県では、4月3日に
湖西市利木のカフェ、moimoiさんでボッサライヴの予定です。

また、こちらもいらしてくださいハート
今回のコンサートとは、また一味違った時間になると思います。
皆様のお越しをお待ちいたしております。
※詳細はこちらを。


追記:写真はいつもお世話になっているシロさんから、頂きました。


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048.なんで生演奏がいいのか。

カテゴリー │演奏日記

浜松でのとても大事な友人であり、お弟子さんでもある
シロさんが、先日の”であい”さんでのボサノヴァライブの写真を
愛用のニコンで撮って下さり
ブログにアップされていたので、
こちらでもご紹介させていただきます。

とりあえず、ソロ。



目の下のクマまで映ってますがな。。。(^^;)
さすが、レンズがいい、解像度がいい、
もう携帯カメラとは基本的に格がちがーう!!指輪キラキラ(笑)
そして、シロさんは美術のセンスもある方なので、
聴衆目線の感性が見えて、構図バランスも自然な感じでいいと思う。


私の旦那さんがビデオも撮ってくれていたので
音は多分そっちで録れたものの方がいい。
でも、
作ってはその場で過去、という音楽観のある自分としては
録音という作業は全く違うスタンスで臨むことになるので、
ライブ演奏は音楽的な意図が初めから別物。

ライブでは一時的な感情を授受しようとするゆえに
完全に、その場限りの気分屋的なアドリブにしているため、
録音ブツにしてしまうと、聴いていて飽きたり、不安定さが耳につきまとったり…。
音楽の流れの上で
何故そうなったのか、何故そうしたかったのか、という物語が
ライブというのはその場で参加しているひとにしかわからないものがある。
(そして、これは動画記録媒体を使っても意外に見えにくい…何故だろう。)
だからこそライブは、面白い。
気まじめに完璧な演奏ではライブとしてはつまらないし
かとて録音ブツとしてのライブは完璧でないと聴き苦しい。
どっちでも有効な演奏、というのがまだ私にはわかっていない。。。

クラシックでもそうだ。
こちらは完全なアドリブ(クラシックだとカデンツと呼ばれる)ではなく
楽譜通りに弾くわけではあるが、
音と音との連続性は、非常に感覚的な、気分的なものが
やはりライブ…生演奏では強調されるし、それは
奏者にとっては「息」そのものとして現れることになる。

どんな息をして弾いていこうとするのか、という現在進行形の場は
お客さんとの空間があってこそ生まれる その瞬間限りの連続ドラマでもあるから
互いがそういう特別な瞬間瞬間の感情的なドライブ感を共有しているので
ライブは楽しい、という結果になるのだと思う。
(多分、これはスケートや野球などのスポーツ観戦とも同じじゃないかなぁ。
テレビのニュースでダイジェストを見たり、もうわかりきった録画の試合を観ても、
ちょっとした白けがありませんか?)

逆に、録音ではそういう一瞬の気まぐれによるドライブは
ともすると奏者は足もとをすくわれやすいし、
その危険性を努力して除去できたとしても
結局何度も繰り返して聴くには
特有の飽きが来ることを承知していないといけない。
録音は切り貼りも可能だけれど、空気に連続性のない結果になるのは
音楽としては避けなくてはならないから、
突発的な感情の現れよりも、計算ずくめの構図の方が
長く聴くには安心できる録音ブツになると、
基本的なところでは、思っている。

ゆえに。
終わったライブの録音は聴きたくない性分なのであった。笑
そして同時に、ライブは聴きに来たその時のお客さんだけの
特別な時間の享受であって、
音撮りしたものをいくら鑑賞しても、あの感動は得られない
ともすれば疎外感に陥るかもしれない(笑)、意地悪な物ともいえるのかもしれない。。。(^^;)


写真を眺めて想う。
これもわたし、
但し、既に過去のわたし。という感覚。。。

その点、カメラ、という媒体が一瞬を感知する道具だというのは
ともすれば動画よりも
音楽というものに、より近い存在のような気もする。



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