♪♪====♪♪♪♪=お問い合わせ=♪♪♪♪====♪♪

岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜名古屋・浜松ヴァイオリン教室:チェロ教室

私 岡田のプロフィールは、サイドバー上部の「プロフィール」欄を ご覧ください。
教室は、主に平日が名古屋教室、週末が浜松教室、のペースで、 発表会などの企画は 名古屋と浜松を合同で行っています。
また、2018年春から 浜松三ケ日教室では、チェロ教室クローバーも 始動! 只今、生徒さん募集中!
連絡先手紙:メールは、こちら「メッセージを送る」をお使いください。岡田に直接つながります。
電話電話:一旦メールを頂きましたら、ご返信にてお伝えさせていただきます。(非通知設定の 電話は受話致しませんので、ご了承下さい。)
住所家:「三ケ日教室」浜松市北区三ケ日町鵺代/電車天竜浜名湖線「奥浜名湖」駅下車徒歩
   「名古屋教室」名古屋市千種区/本山駅徒歩1分 
尚、浜松教室は、浜松から車でお越しの場合は、
三ケ日インターからは10分、 高速を使われない場合は、三方原から30分。
豊橋方面からは、多米峠から20分。 豊川インターからは、本坂峠を経由し20分。

詳 細はこちらもご覧下さい。
◆名古屋本山(東山線本山駅徒歩1分)の「名古屋教室」も、浜松教室同様こちらから、お問合せ下さいませ。◆

ホームパーティー、披露宴、記念式典、などでの演奏も賜っております。
詳細は♪演奏のご案内♪をご覧下さい。

・ちょっと自宅で演奏してほしいのだけれど、
・予算内で何かしてもらえるかしら?、
・どんな曲でも 弾いてもらえますか?、
・ピアノがない場所でも何か弾いてもらえますか?など、
初めてのことで、なにもわからない、という方も安心して
気 になることがあれば、ご遠慮なく、お名前、ご予算、演奏希望日程を、おおよそで構いませんのでフォームにご記入の上、
手紙ご相談メールを下さいませ。

演奏歴20年クラスの音楽家の繋がりを持っておりますので、演奏者に 直接依頼できます分、お安い価格で賜れます。
ご予算に応じ、お客様の願いを形にするための 的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこ と、
全てお任せ下されば長年の経験をもって準備段階から会場スタッフの方とも連携し、場にふさわしい、
素敵な演奏をお約束致します。

また、◆企画コンサートのご相談、◆演奏会のチラシデリバリー、◆リサイタルなどのスタッフ業務ご相談も、是非どうぞ!

112.ラテン・ヨーロッパの音

カテゴリー │演奏日記

先日、とても興味深い音作りをしている
アマチュアオーケストラの合宿に参加してきた。
(今日も少々長くなりそうなので、是非パソコン画面で ゆっくりお付き合いください。)

三重県で活動している三重大学のOB系のオケなのだが、
平均年齢30歳弱、というところか。
(※シーサイドオーケストラのホームページはこちら
来月定期演奏会があり、皆仕事の合間をぬって連休を献じての
泊りこみ集中練習。
私など、一日の練習も1時間から長くても6時間、という方なので
実はまだこの日の12時間耐久レースの筋肉痛が、なーんとなく残っている。笑

私はエキストラとして3日の合宿の中日だけお邪魔してきたのだが
プログラムは序曲がロッシーニ「セヴィリアの理髪師」
フォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲、そしてメインがメンデルスゾーンの
交響曲第4番「イタリア」。

チラシはこちら。
イタリアの国旗にパリのエッフェル塔!上手い。笑

112.ラテン・ヨーロッパの音



さて、背中に羽の生えているようなキャラの私には、日本のオケの、ドイツ式な縛りがどうも苦手で
オケは本当に、大好きなのだが、大好きだからこそ、現在はもう基本的にはやらないスタンスでいる。
明治期の日本の西洋音楽輸入に際し、その手本とした
ドイツ風(ドイツ、と言っても北的なドイツ。南西部じゃないなぁ…)の硬い…指揮者の号令のもと一斉に揃う、というガチガチな兵隊式が、わたしはとても苦手。
見た目だけのスタイルのみならまだしも、
どんな国の音楽・サウンドに対しても このドイツ式こそが全ての理想や大前提とされている雰囲気が未だに日本のどこのオケにもあって、(日本の音楽アカデミズムによほど未だそれが残っている故だろう)
更には、音楽監督や指揮者と楽員の関係、事務局と楽員の関係、などなどの
「出勤」する限りみえる人間関係や心理的な動作部分にまでそれが日常的に存在するのは、
いかに日本人ではあっても”音楽家として”の私には理解しがたく、
またその環境で演奏をする、というのは自分には無理。
で、15年やってみて こりゃ日本のオケ方式に自分は合わないな、と辞めたわけです。(笑)

なので、これがアマチュアのオケであっても、
ドイツ式をベースにそれを好んでいる風情のオケには、基本気分が後ろ向きになる自分なのですが、
このオケは、かなり違っていました。
何年もそういう音を求めて集まっていると、集団としての気質にも変化が出てくるのかもしれません。
休憩時間の素朴で気さくな笑顔、練習中の意見の前向きなやりとり。
自由であることの楽しさと、同時に引き換えの、自己の責任感、というのが
ちゃんと両立され始めている場ではないかな?という感じがしました。

日本て、真面目だけれど、すぐに「無言の前提」「常識」「上からの指示」で誤魔化してしまうでしょ。そして、個々に責任が感じられないから、すぐに誰かのせいにして知らぬふりをしてしまう。
だからアグレッシブさや個々の思考の深さが無いし、
無いからこそ簡単にまとまる。
何かが起きても、同情はしても、
堂々と割って入って場を整理することは出来ない。
でも、芸術においてそれは、あまりいいことじゃないと思っている。
やっぱり、表現してナンボ、表現したいという気持ちが無かったら、
何一つやりようのないのが 音楽の世界だと思うから。

ここのオケに今回求められているのは
「50歳代のサウンドを」「ラテン的な雰囲気で」
平均年齢30歳弱のオケなのに~…。笑
でも、指揮者の求めんとする処、そして何より彼らの集う処、の意味が
そこにあるのだとも感じた。
つまり、具体的な例えをするなら、
フランスもののフォルテを弾くのに、ブルックナーやマーラーのような音を使うな、ということであり
誰か一人が(指揮者やメロディーパートが)強引に先導するのでなく、
互いが溶かす役割を認識しながら「自然なスタイルで」一つの音の集結像を作ろう、ということ。
そのためには、楽譜からただ音を拾うだけ、のような作業(そんなのは”JOB”だね)をするな、
音の繋がり、メロディーとして音楽を流すために、
絶対に楽譜の前で音楽意識を停滞させるな、
楽譜を閉じ目を閉じて互いを聴きながら弾いてみなさい、というような注意が飛ぶ。

若さではなく、大人の包容力や魅力を音で描こう、ということ。。。
ううう~ん、いいねぇ。。。と思った次第。
日本にこういうスタイルとそのための引き出しの豊かさを
マジで求めているオケ団体が
プロを含めていくつあるだろう?
どうせ日本の音楽ではないのだから、と諦めてかかるか
日本人の器用さや環境の良さを生かしてぐんぐんのめり込んで学ぶか。。。
おそらく、前者になりがちなのが現状じゃないだろうか。
給与体系というサラリーマン的な生活を背負い、日々時間の無いプロ団体なら
逆に余計そうなってしまうことも多分にありがちなのも、
わたしは自分で見て体験してきた上でがっかりしている。

この手の目標、やる方にとっては時間も手間もかかるのに、結果的には判りやすい派手さが出ない。
引き出しを豊かにするために、色々な知識や体験が必要な分
時間がかかるばかりで、音に変換しての手応えがちっとも出て来ないから うんざりしてしまいがちな目標だし、時には投資のためのお金だってそれなりに結構かかる。
特に、ドイツものだったら「構成」と「力」で語りきればそれなりに仕上がるが
フランスものなどだと、「音色」「和声」の淡い混じりを描くためのコントロール力が必須。
平均年齢の低めのアマチュアのオケでは「熱血演奏」に趣旨を置く方が派手で楽しいことも多いし
ストレスもたまりにくいから、
こんな目標を置くプログラムは、弾く側によほどそのつもりが無いと続かず、不可能だと思う。
ところが、このオケは…。笑

さて、そんなこんなを求めての今回のプログラム、
弦楽器セクション的には「ただ弾ける」、ことはもちろん要求された上で、
「どう弾く」の問題を、きちんと問われる。
しかも、ドイツ式に 一つの回答を指揮者やトップに提示されてそれに従うのではなく、
個々が自分のサウンドの引き出しを整理しながら
ひとつずつ互いで持ちよって、検証していかなくてはならない。
だから、個人個人が頭も凄く使うし、そのためのテクニックを柔軟にしておかなければならない。
音をイメージする上での想像力と、それに伴う学習とセンスも必須。
従って、練習中は何度もスコアを広げるシーンがある。
(耳で完璧に全パートの音の動きを覚え込んでしまっていれば、スコアがなくてもいいのだろうが)
パートチェンジもガンガンするらしい。
究極的な話だが、本番まであと一月を切っているこの時でも
ヴァイオリンパートは自分が1stか2ndかの、最終的な座席を決めておらず
シャッフルチェンジの可能性の中でリハーサルをしている。
つまり、どっちのパートも弾けねばならないし、それによって両のパートの存在の意味を
具体的に、リアルに知る体験を積むことが出来る。
(私もこの時は両パート弾かせて頂きました、現実ではなかなかそんな場はないので、準備は必要になりますが、とても楽しいことです。)
何となく音を出すのではなく、きちんと「音楽を把握する準備」をしていなくては
その場の参加意義が、半減してしまう場所。。。
おそらくこの方法は、管楽器よりも、他人頼みに陥りがちな弦楽器という集団セクションに、特に凄い効力がある。
あなたは、今この瞬間、ここでどう弾くことをベストだと考えているのか?と、個人的に、常に、問われている環境。
誰かにお任せし、それを乱さないことを念頭に弾くばかりでは全く駄目で、
自分の音楽的な能力を最大限に使って、常に周囲に発言したり問いかけるように弾いていなくてはならない。
(同様の問題を解決していくのなら時には、コンマス席やトップ席を巡らせてしまう、という手段だって有りかもしれない。)
逆に、管楽器群には、個人プレーではなく、
集団としての音色や方向性のまとまり、あなたは今ここでこの音楽のために何をどう吹こうとしているのか?、というものを
”皆から”しっかりと問いかけられることになるだろう。。。

オケ、というのは室内楽の延長、でもあり、
そこを追求しようとすれば必然的に向かう一つの方向性と手段が
このオケの採っているスタイルだと感じたが、
室内楽がそうであるように、オケが個の集まりであるとするならば、
その点を、愉しんでこなしていけるメンバーしか自然と残らないだろう。
となると結果的に、このオケはいずれ気長なキャラクターの
少数精鋭のような室内楽編成オケという姿になるのではないだろうか?とも思った。

112.ラテン・ヨーロッパの音



今回のような、お金を取って披露する定期演奏会などでは、
よくある「若いアマチュアオーケストラの爆裂演奏」をついつい求めて
聴きに来るお客さんばかりだったら、”ハズレ”と言われてしまう覚悟もまた要る。
もちろん、アマチュアだとそれは団員の募集にも影響してくるだろう。

けど、このオケには、ちょっとなかなか他では見かけない
私個人としては「乗ってみたい」と思わせる、独自の魅力があった。
そう…今回のプログラムのように、珍しくヨーロッパの「ラテン」な風情があるのだ…。
まだ若いから、この後このオケにどんな運命があるのかは、わからないが。


さて、昨日「ペレアスとメリザンド」という
「青い鳥」で有名なメーテルランク(1862 - 1949年 ベルギー人)の戯曲を読んだ。



かんたーんに筋を言ってしまえば
淡い光しか届かない、北の海辺の古城が舞台。
後ろに森を控え、海の波は冷たく、
その古城の下には謎の洞穴があり、また庭には泉が湧く。
国は老王とその息子(ゴローとペレアスの父)が背負っているが
息子は病床に伏しており、
国は飢饉の状態で決して安泰、幸せという状況ではない。
ヒロインメリザンドは身の丈より長い金髪をもつ
おそらく、人間ではなく水の精、ととれる美女。
彼女の夫ゴローとその腹違いの弟ペレアスが共に
このメリザンドに惚れこんでしまい、結果的には不倫というか
三角関係というか…というあたりが物語のメイン。
でも相手であるメリザンドが何しろ水の精…というか人間離れして純潔な女性なので、
その恋は非常にプラトニックであり、
俗世の感性では到底説明できない女性。
最後に彼女の命と引き換えのように女の子の赤ちゃんが生まれるが
蝋のように白く小さな、とあるので、所謂処女懐胎に近い出産かと。

まぁ、筋を伝えたところで
とうていこの戯曲の、訳日本語文からすら匂いたってくる
途方もなく淡い、影絵のような曖昧で透明で清らかな雰囲気は
伝えることが出来ない。

ベルギー人だがフランス語で原文は書いている。
これをフランス語で劇上演すれば
それはたしかに、たちどころに人気になるだろう、というのは
読めばわかる。
今で言うなら、その捉えどころの無さや
曖昧なのに美しい「間」のような感覚は、
フランス映画の雰囲気に近いかもしれない。
当時もサラ・ベルナールがメリザンド役をしていたくらいだから
相当人気だったのだと思う。
(サラ・ベルナールは、ミュシャのポスターで有名な女優さんでもありますね。)
で、そんな人気の劇だったので
当世これまた人気だった作曲者たちが
次々とその劇に付随音楽やらなにやらを書いている。
イギリスの劇用にフォーレが、フィンランド上演用にシベリウスが、
そしてオペラ仕立てでドビュッシーが、
更にはシェーンベルクまでもが
この劇をベースに音楽を書いている始末。


さて、先のシーサイドオーケストラは、この曲をどう演奏することになるのだろうか。
終曲「メリザンドの死」など
明らかな葬送のモティーフが、激しい慟哭のようなフォルテで記されている。
これを、ブラームスやワーグナーのフォルテのようにせず、
フランス語の発音で慟哭するかのように弾くには。。。
難しいことだと思うが、
それを求めるチャンスが、”このオケに居たからこそあったのだ”、と思えば
それはとても幸せな運ではないだろうか。
これを機会にフランス語を習う人まで出てくるのかもしれない。(笑)

有名すぎる所謂”フォーレのシシリエンヌ”
月夜での最期の二人の逢瀬のシーンにそぐう音が出るだろうか?
全編、暗い緩やかな空気の中、光となるのは月とメリザンドの長い金髪の輝きだけ。
春に始まり、その冬には終わってしまう物語だ。

ロッシーニ、食道楽のイタリアオヤジのほがらかさ。笑
メンデルスゾーン、ドイツ語圏の人ではあるものの彼はユダヤ人であり、
その才能と音楽はドイツ系の音楽と一線を引いて捉えるべき存在だと思う。
彼のシンフォニーは、ぎとぎとの激しい油彩ではなく、
彼の遺した旅先のスケッチのような、端正な水彩画ではないだろうか。。。

112.ラテン・ヨーロッパの音


メンデルスゾーンの描いた絵。こちらのブログより転載させて頂きました。ライプツィヒの紀行としても面白い記事でしたので、もしよろしければご参考に是非お立ち寄りください。


演奏はほんの短い、数十分の出来事だ。
けれど
それを紡ぐためには
人生の時間がどれだけあっても足らず、
また、それなのに
聴いて下さるお客さんとはもう、二度と出会いが無いのかもしれない。
同じ顔ぶれで同じ曲を演奏することも、もう二度とないかもしれない。
まして、別の機会に、同じ情緒で同じ演奏をすることなど、出来はしない。

命を掛けるほどのものではないのに
命を掛けてしまうくらいのテンションについついなってしまうのは、
そんな音楽の持つ一期一会の不思議さと愛しさ故だ。

112.ラテン・ヨーロッパの音



50歳代の音ならぬ、還暦の音を日々省みる指揮者自ら
この合宿の夜は、和歌山蜜柑ひと箱を、手絞りにしては焼酎割を作って下さっていた。
マドラーが無い!と叫んだ後は、蜜柑を切った包丁が。。。(^0^;)


来月、このオケが更に、どんな音づくりをするようになっているのか。
難しい課題なので、おそらく、20年くらい続けて…
それこそ、本当に50歳になる頃まで、このオケの目標と魅力が音となることは
もしかしたら、ないのかもしれない。
でも、若いからこそ、同じ目標があって集う彼らなら
今回の演奏会で、「何か」を発見するかもしれない。
本番はもちろんのこと、リハーサルに行くのがとても楽しみだ。
だって、その発見に、自分は立ち会えるのかもしれないのだから。。。
それが、若い子に混ぜてもらえる おばばの密かな愉しみである。笑



※こちらの演奏会のお問い合わせは、シーサイドオーケストラの公式ホームページから是非どうぞ。
2011年3月6日(日) 開場13:00 開演13:30 
四日市市文化会館第1ホール 入場料 800円



blogram投票ボタンにほんブログ村 クラシックブログ ヴァイオリンへ








同じカテゴリー(演奏日記)の記事
194.梅雨らしい毎日
194.梅雨らしい毎日(2018-06-21 13:20)


 
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
112.ラテン・ヨーロッパの音
    コメント(0)