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岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜名古屋・浜松ヴァイオリン教室:チェロ教室
私 岡田のプロフィールは、サイドバー上部の「プロフィール」欄を ご覧ください。
教室は、主に平日が名古屋教室、週末が浜松教室、のペースで、 発表会などの企画は 名古屋と浜松を合同で行っています。
また、2018年春から 浜松三ケ日教室では、チェロ教室
も 始動! 只今、生徒さん募集中!
連絡先
:メールは、こちら「メッセージを送る」をお使いください。岡田に直接つながります。
電話
:一旦メールを頂きましたら、ご返信にてお伝えさせていただきます。(非通知設定の 電話は受話致しませんので、ご了承下さい。)
住所
:「三ケ日教室」浜松市北区三ケ日町鵺代/電車天竜浜名湖線「奥浜名湖」駅下車徒歩
「名古屋教室」名古屋市千種区/本山駅徒歩1分
尚、浜松教室は、浜松から車でお越しの場合は、
三ケ日インターからは10分、 高速を使われない場合は、三方原から30分。
豊橋方面からは、多米峠から20分。 豊川インターからは、本坂峠を経由し20分。
詳 細はこちらもご覧下さい。
◆名古屋本山(東山線本山駅徒歩1分)の「名古屋教室」も、浜松教室同様こちらから、お問合せ下さいませ。◆
ホームパーティー、披露宴、記念式典、などでの演奏も賜っております。
詳細は♪演奏のご案内♪をご覧下さい。
・ちょっと自宅で演奏してほしいのだけれど、
・予算内で何かしてもらえるかしら?、
・どんな曲でも 弾いてもらえますか?、
・ピアノがない場所でも何か弾いてもらえますか?など、
初めてのことで、なにもわからない、という方も安心して
気 になることがあれば、ご遠慮なく、お名前、ご予算、演奏希望日程を、おおよそで構いませんのでフォームにご記入の上、
即
ご相談メールを下さいませ。
演奏歴20年クラスの音楽家の繋がりを持っておりますので、演奏者に 直接依頼できます分、お安い価格で賜れます。
ご予算に応じ、お客様の願いを形にするための 的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこ と、
全てお任せ下されば長年の経験をもって準備段階から会場スタッフの方とも連携し、場にふさわしい、
素敵な演奏をお約束致します。
また、◆企画コンサートのご相談、◆演奏会のチラシデリバリー、◆リサイタルなどのスタッフ業務ご相談も、是非どうぞ!
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即

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ご予算に応じ、お客様の願いを形にするための 的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこ と、
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2010年06月18日17:46
090.クラシック音楽と人との関わり≫
カテゴリー │営業日記
今日は、初対面のハープ奏者さんと
ランチを共にした。
わたしが遅刻したのに、とってもいい笑顔で
「わたしも今着いたところです」と笑ってくれた。
いろんなお喋りをした。
わたしが、初対面のひと相手に
こんなに喋るとは、
自分でも知らなかった。笑
もちろん、互いがどんな人物なのかを
知るために会ったのだから、
ある程度喋らなきゃ意味が無いけど。
パリのエコールノルマルで勉強して、
ピアノも、チェンバロも、ハープも弾けるなんて!!
凄い!!憧れてしまう。。。
そして、何か一緒に出来る仕事が無いかと考えたけれど
今はなかなか、演奏能力が高い、ということと
演奏の仕事がある、ということは直結しないので、
一緒に出演出来るような機会がなかなか無い。
プロのオーケストラ団体などでも文化予算が削られる話はもうさんざん
昔から聞いているが、
でも、これが日本の現状なのだな、と認識している。
今日はそんなことを考えながら
現代のクラシック音楽の立場を、
昭和後半生まれの自分という奏者の目でちょっと書いてみようと思った。
経済が発展し、音楽が身近になった時代があった。
とはいえ、
その面白さ…クラシックの懐の本当の深さを
あの時期どれだけのひとたちが
本当に解ってそれを選択していたのだろうか。
と、よく思う。
ベルリンフィルのチケットが何万円もするのに
完売していた時代があった。
彼らは、今、何を聴いているのだろう?
これからは女性も働く時代になる、
女性も手に職をもっているべきだ、
とか
音楽は心が豊かになる、
子どもに習わせればいいに結果を生むに違いないらしい、
とか
果てはお腹に赤ちゃんがいる、といえば
それ胎教だ、と、いきなりクラシック事始め、とか。。。
何が根拠だったのかおそらく
大人本人たちにもよくわかっていない状況で
何かしら、夢だけを託され
それがいかに厳しい現実なのかは二の次で
「せっかく習わせてやっているのだから、
しっかりやらなきゃ駄目じゃないか!」
と、尻をはたかれ続け、
小さい頃から友達が遊びに行くのを横目にレッスンに通い、
それのために仲間外れにもなり
自分が浮いている現状を悟り、
体育のボールも突き指したらならぬと率先して嫌いになり、
クラブも帰宅時間やレッスンの障害が出るからと入れず、
進学クラスに居るとはいえやはり受験科目が違うと浮き、
大競争の難関くぐって
一浪してなんとか音大に入り、
さぁ!と社会に出てみたら、
あなたたちにもう用は無い、とあっさり
切り捨てられたような感じだ。
そもそも道楽の、愛人みたいなものだったのだから。と。
あらららら。。。
こちらは道楽のつもりじゃなかったのに…。
あたしっ、本気だったのよっ!(涙)…みたいな?笑
いやいや
ま、さすがに、気付いていたけどね、
というのが本音だったかなぁ。。。笑
そして、その状態に至ったクラシック音楽の道のりやイメージは、結局
20年30年経った今でも何も変わっていないことのような気がする。
クラシックは、古びた、高級なもの。
なんだかいいものだということだ。
一方で、いい いい、とは言うが
所詮自分には縁のない、関係のないもの。
だってよくわからないし、
聴くにも何から聴いていいのかわからないし
途中で飽きるし。
だから
あんなものがわかる
偉いらしい人たちに倣って、いい、と言っていれば
それでとりあえず衆目的には済むだろう。
クラシック音楽とは、只それだけのもの。
…という汎い認識。
違うかな?
場合によっては…これが過剰になって
演奏会に行くこと自体が、ステイタスの表現にされてしまうことすら
哀しいかな、有る。
わたしはこの感覚がとても苦手だ。
クラシック音楽が
ステイタスになるような高級なものかといえば
ウソばっか、勘違いばっか、なんだが。。。
日本の音楽教育はそういうふうにやってきているから、
その実を知る人は、殆どいないままイメージだけが先行する。
何年かに一度オペラを観に行くことすらままならない学校音楽教師に
モーツアルトのエロさなんて、
なかなか考える余裕もなければ、
知る由も無いということになってしまうだろう。。。↓
ミュージカルよりオペレッタの方が過激なんてことも
ともすれば知らないだろう。。。↓
だからこそ、めっちゃ面白い、ということも、もちろん。。。
演奏の良しあしにも、
ベートーヴェンとブラームスの違いにも、
ドイツものとフランスものの違いにも、
何にも
好奇心を持つひとなど、殆どいない現実。
ヨーロッパでもそれは顕著で
クラシックの演奏会は若い人があまり集まらないと聴く。
(クラシック音楽には美術のように、ダイレクトに「裸婦」とかが無いのもいけないのかな?笑
ま、それだけで虜になるのもどうかと思うが、入って行くきっかけになるならいいんじゃないか?
最近はゲーム音楽やアニメ関連で入る人も少しあるらしいけれど…。)
同様に、最近は日本文化を知ろう、という旗だけで
クラシック音楽の歩んだファン壊滅の二の舞を
邦楽関係にも向けているような危険を、
わたしは感じずにおられない。
不毛な学校の音楽教育に
非常に問題があるだろうことは
わたしは学生の頃からずーっと思っている。
学校の音楽の授業に、仮にプロの奏者がいたら、子どもたちの
音楽へ対するイメージががらりと変わるのも
見て来て、体験していて、知っている。
でも、学校という子どもにとっても大人にとっても
檻のようなあの場では
音楽家の立場はやはり、ストレートに核心を突くだけに、
排他されることになるだろう。
どうしても共存せねばならないのなら、
音楽や美術をやってきたひとたちは
世間知らずで非常識だ、というレッテルさえ予防線に張っておけば
万事スムーズだ。
子どもに、ベートーヴェンが何を考えて
あのシンフォニーを作らずにおれなかったのか、なんて
教えたり考えてみたりする必要は
結局無い、と
大人たちは無意識に、考えてみる以前に、思っている気がする。。。
むしろ、そんなことを考えてばかりいたら
社会から排他されちまうぞ、と心配されてしまうことすらあるだろう。
誤解であり、誤解される社会の上では正しい。
そのあたりのことは
「星の王子様」に既に書いてあることだが。。。
未だに
誰も、あの物語の内容を本気で踏まえる気など、”大人”には無いように思う。
いやむしろ、それをすれば、社会人として不適格者のレッテルをすら
貼られかねないだろう。
そういえば、サン=デグジュペリは、ストラドを持っていたんだっけ…。
でも、だからこそ、どうにかして、少しでも多くの人に
クラシックのもつ、本当の実力に
直接的に触れて体感して、ドキっとしてもらいたい。。。と
わたしは思う。
何とかならないだろうか、
自分の持つ、過去のゆとりある時代に
日本人たちの力によって支えてもらった
自分たちの専門的な実力を、
社会に何とかして有効に還元できないものか、と。
何故なら、
今日もハーピストと話していたのだが、
奏者である自分たちが
一番、クラシックの効用を、肌身で体感しているからだ。
植物やお酒に試す以前に
人間にいい効用があるのは、
わたしたち音楽に直に毎日たずさわる奏者の身を持ってして、
明らかにわかっている。笑
わたしは、この効果を
ゴーシュ効果、と勝手に呼んでいる。
そう、宮沢賢二の「セロ弾きのゴーシュ」に因んで。
あそこではゴーシュのチェロによって…
ねずみや、たぬきが救われ、
かっこうが音に取り組むことの大事な姿勢を
ゴーシュに教える。
お互いさまの中で、最後にゴーシュはホールで名演を奏でる。
いい音は、本当に、薬になる。
胃の調子の悪い時、
練習をしていると治まる。
楽器が体に響きを与えると
なぜかしら、不快感が去っていく。
これは、プロの音楽家なら大抵誰もが自分で経験していると思う。
小鳥たちですら、楽しみのために
ただ愉しむことを目的に
さえずりをする。。。
そして、ある個々の鳥は
さえずりを学んだり、改良したりしていくという。
楽しい、という気持ちだけでも
体に及ぼす佳い影響は深い。
まして、くわず嫌いであるだけなら
クラシックのその実力は
只ならないものがあることを、知らないだけだと思う。
それは、勿体ないだけでなく、
人にとって損失であるとも言えないか?
これらを知っていたから
過去の社会主義国家も、あるいはナチスも、
クラシック音楽を有効利用した。
あんなに貧しく厳しい状況でありながら、
現代のように「あっても無くてもいい、金が無いなら要らないもの」だとは
絶対にしなかった。
だから、利用されることを拒む多くの音楽家たちが亡命しようとした。
要らないものだとされなかったのは、確実に効果があると認知されていたためだ。
従って、社会主義国では
奏でるあるいは作曲する時点で、どんな曲なら良く
どんな曲なら駄目だと、
ごく細部にわたってまで、チェックし、規制すらした。
クラシック音楽の持つ力を、知っていたから
上手く使えば利益になり、
うっかり使い間違えれば
自分たちの体制にとって脅威になるということも、全てわかってやっていたのだ。
クラシック音楽は、愛人などでは無く
賢くおおらかな、畏怖すべき正妻の立場だったわけだ。笑
経済発展の余剰効果で
わたしたち演奏家の多い時代が今現在
日本にはある。
昭和30年代~50年代ベビーブームに生まれた
日本の音楽家は、今聴き時で
現在とても多いはずだ。
近所にそれくらいの年齢の音楽家は
20軒に一人くらいは居るんじゃないだろうか?笑
そして、質もけっして悪くない。
三流、四流、と馬鹿にするものでもない。
これを使わない手は、あるだろうか?
と、わたしはとても素朴に思う。
区内近隣のピアニストに、是非、
ちょっとうちのピアノで弾いてみてよ、
あのピアノのいい音を聴いてみたいの、と
是非気軽に声を掛けてもらいたい。
海外のソリストに80万円やら120万円やら払っても
そう良くない演奏のことだって、事実、けっこう有る。
まして、彼らが自宅で弾いてくれることなど
あり得ないわけで。。。
なのに、世間はCD一枚買って、終わってしまうのだ。
どうしてなんだろう?
いい環境で奏でられるプロの生の演奏の感慨は、
CD5~10枚分には軽く匹敵するだろうに。
地元オケのコンサートのチケットも
CD1枚の値段も、変わらないのに。。。
近所のピアノ弾きの値段は
おそらく、CD7枚から10枚分くらいで済む。
(近所の人に頼まれたら、わたしなら、それくらいでやる。)
近隣のみんなで割ったら、CD一枚にも満たない値段で
気軽に自宅で生の名演を独占して聴けるかもしれない。
また、考えようによっては
今じゃ何処へ行っても珍しくない程度に
ヴァイオリニストに出会え、
ちょっと出掛けてみれば
海外で研さんを積んだハープ奏者にだって
教えてもらえる時代なのだ。
こんな贅沢な環境に、妙に慣れているのでは
やはり惜しい と思うのは
私だけだろうか?
昭和の日本人たちが憧れてやまなかった時代の景色が
まさに今、すぐ手に入る処に普段着であるというのに
何故か放置されている。。。
キャビアの瓶詰があちこちの家庭の冷蔵庫の奥で、
手つかずで固まってる感じ?笑
どうしたら、
もっとクラシックのもっている良さを
普通のひとびとに伝えられるのだろう。。。
それを
わたしはずっと考えている。
長い、たるい、とも聞くが、
長いことはまず、それが大事な要素でもあるから
なんともならない。
長編文学と同じだ。
でも、
ある部分までを越えると
あとは面白くて嵌り込んでしまい
長い、ということが苦ではなく
成り行き的に内容に引っ張られ、いつしか面白さになるのだが。。。
とっつきに、短い曲から聴いてもらってみても、
それは短編集を拾い読みしてもらったり
現代国語の教科書の体裁と同じで、
なかなか次のレベルに行ってくれる人はいない。
なので、これはよく使われる手段だが
正攻法ではないだけに
やはり最終的には
あまり意味が無いんじゃないかと思っている。
短い短編は、概して余程の名手にあたらなければ、感慨も軽い。
のだめカンタービレも流行りはしたが、
その効果は、どれほどだったのだろう?
ベートーヴェンの7番全曲を
色々な指揮者と演奏で聞くために
演奏会のチケットやCDを買ってくれた人は
どれくらいいるのだろう…?
そして、なによりも
この曲が、自分の明日生きていくための活力に
すっごく使えてるよ、とか
疲れた時に聴くと本当にホッとするんだ。。。と、
何らかの自分への効果に
気付いてくれた人はどれくらいいるのだろう…?
知りたいようで
知りたくない諸々。。。笑
でも、知らずにはおれない気持ち。
人間の欲は、深い。
そして、人間の怠惰は、甚だしい。
この相反するふたつの人間の核心を
クラシック音楽は全て備えている。
楽であり、つらい。笑
自分?
自分はこれからもクラシック音楽の恩恵に
預かり続ける一生であるだろうし、
そうありたいと思う。
それだけで
もしかしたら充分だ。笑
楽であり、つらい。
オッケー、という感じである。
何故なら、クラシックの恩恵に
私自身が
既に完膚なきまでやられている身だからだ。
怠惰な人間は
楽過ぎることにも 飽きてしまうものだ。
欲もかきすぎれば
自分が飽和し破裂してしまうのだ。
クラシック音楽は、そんなことまで私に教えてくれている。
クラシック音楽は、驚異かつ恐畏的な存在だと、やはり思う。
やめたら大変なことになっちゃいそうだ。。。!笑


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ご予算につきましては、こちらの記事をご参照下さいませ。)
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準備段階から会場スタッフの方とも連携し、場にふさわしい、
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自分でも知らなかった。笑
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凄い!!憧れてしまう。。。
そして、何か一緒に出来る仕事が無いかと考えたけれど
今はなかなか、演奏能力が高い、ということと
演奏の仕事がある、ということは直結しないので、
一緒に出演出来るような機会がなかなか無い。
プロのオーケストラ団体などでも文化予算が削られる話はもうさんざん
昔から聞いているが、
でも、これが日本の現状なのだな、と認識している。
今日はそんなことを考えながら
現代のクラシック音楽の立場を、
昭和後半生まれの自分という奏者の目でちょっと書いてみようと思った。
経済が発展し、音楽が身近になった時代があった。
とはいえ、
その面白さ…クラシックの懐の本当の深さを
あの時期どれだけのひとたちが
本当に解ってそれを選択していたのだろうか。
と、よく思う。
ベルリンフィルのチケットが何万円もするのに
完売していた時代があった。
彼らは、今、何を聴いているのだろう?
これからは女性も働く時代になる、
女性も手に職をもっているべきだ、
とか
音楽は心が豊かになる、
子どもに習わせればいいに結果を生むに違いないらしい、
とか
果てはお腹に赤ちゃんがいる、といえば
それ胎教だ、と、いきなりクラシック事始め、とか。。。
何が根拠だったのかおそらく
大人本人たちにもよくわかっていない状況で
何かしら、夢だけを託され
それがいかに厳しい現実なのかは二の次で
「せっかく習わせてやっているのだから、
しっかりやらなきゃ駄目じゃないか!」
と、尻をはたかれ続け、
小さい頃から友達が遊びに行くのを横目にレッスンに通い、
それのために仲間外れにもなり
自分が浮いている現状を悟り、
体育のボールも突き指したらならぬと率先して嫌いになり、
クラブも帰宅時間やレッスンの障害が出るからと入れず、
進学クラスに居るとはいえやはり受験科目が違うと浮き、
大競争の難関くぐって
一浪してなんとか音大に入り、
さぁ!と社会に出てみたら、
あなたたちにもう用は無い、とあっさり
切り捨てられたような感じだ。
そもそも道楽の、愛人みたいなものだったのだから。と。
あらららら。。。
こちらは道楽のつもりじゃなかったのに…。
あたしっ、本気だったのよっ!(涙)…みたいな?笑
いやいや
ま、さすがに、気付いていたけどね、
というのが本音だったかなぁ。。。笑
そして、その状態に至ったクラシック音楽の道のりやイメージは、結局
20年30年経った今でも何も変わっていないことのような気がする。
クラシックは、古びた、高級なもの。
なんだかいいものだということだ。
一方で、いい いい、とは言うが
所詮自分には縁のない、関係のないもの。
だってよくわからないし、
聴くにも何から聴いていいのかわからないし
途中で飽きるし。
だから
あんなものがわかる
偉いらしい人たちに倣って、いい、と言っていれば
それでとりあえず衆目的には済むだろう。
クラシック音楽とは、只それだけのもの。
…という汎い認識。
違うかな?
場合によっては…これが過剰になって
演奏会に行くこと自体が、ステイタスの表現にされてしまうことすら
哀しいかな、有る。
わたしはこの感覚がとても苦手だ。
クラシック音楽が
ステイタスになるような高級なものかといえば
ウソばっか、勘違いばっか、なんだが。。。
日本の音楽教育はそういうふうにやってきているから、
その実を知る人は、殆どいないままイメージだけが先行する。
何年かに一度オペラを観に行くことすらままならない学校音楽教師に
モーツアルトのエロさなんて、
なかなか考える余裕もなければ、
知る由も無いということになってしまうだろう。。。↓
ミュージカルよりオペレッタの方が過激なんてことも
ともすれば知らないだろう。。。↓
だからこそ、めっちゃ面白い、ということも、もちろん。。。
演奏の良しあしにも、
ベートーヴェンとブラームスの違いにも、
ドイツものとフランスものの違いにも、
何にも
好奇心を持つひとなど、殆どいない現実。
ヨーロッパでもそれは顕著で
クラシックの演奏会は若い人があまり集まらないと聴く。
(クラシック音楽には美術のように、ダイレクトに「裸婦」とかが無いのもいけないのかな?笑
ま、それだけで虜になるのもどうかと思うが、入って行くきっかけになるならいいんじゃないか?
最近はゲーム音楽やアニメ関連で入る人も少しあるらしいけれど…。)
同様に、最近は日本文化を知ろう、という旗だけで
クラシック音楽の歩んだファン壊滅の二の舞を
邦楽関係にも向けているような危険を、
わたしは感じずにおられない。
不毛な学校の音楽教育に
非常に問題があるだろうことは
わたしは学生の頃からずーっと思っている。
学校の音楽の授業に、仮にプロの奏者がいたら、子どもたちの
音楽へ対するイメージががらりと変わるのも
見て来て、体験していて、知っている。
でも、学校という子どもにとっても大人にとっても
檻のようなあの場では
音楽家の立場はやはり、ストレートに核心を突くだけに、
排他されることになるだろう。
どうしても共存せねばならないのなら、
音楽や美術をやってきたひとたちは
世間知らずで非常識だ、というレッテルさえ予防線に張っておけば
万事スムーズだ。
子どもに、ベートーヴェンが何を考えて
あのシンフォニーを作らずにおれなかったのか、なんて
教えたり考えてみたりする必要は
結局無い、と
大人たちは無意識に、考えてみる以前に、思っている気がする。。。
むしろ、そんなことを考えてばかりいたら
社会から排他されちまうぞ、と心配されてしまうことすらあるだろう。
誤解であり、誤解される社会の上では正しい。
そのあたりのことは
「星の王子様」に既に書いてあることだが。。。
未だに
誰も、あの物語の内容を本気で踏まえる気など、”大人”には無いように思う。
いやむしろ、それをすれば、社会人として不適格者のレッテルをすら
貼られかねないだろう。
そういえば、サン=デグジュペリは、ストラドを持っていたんだっけ…。
でも、だからこそ、どうにかして、少しでも多くの人に
クラシックのもつ、本当の実力に
直接的に触れて体感して、ドキっとしてもらいたい。。。と
わたしは思う。
何とかならないだろうか、
自分の持つ、過去のゆとりある時代に
日本人たちの力によって支えてもらった
自分たちの専門的な実力を、
社会に何とかして有効に還元できないものか、と。
何故なら、
今日もハーピストと話していたのだが、
奏者である自分たちが
一番、クラシックの効用を、肌身で体感しているからだ。
植物やお酒に試す以前に
人間にいい効用があるのは、
わたしたち音楽に直に毎日たずさわる奏者の身を持ってして、
明らかにわかっている。笑
わたしは、この効果を
ゴーシュ効果、と勝手に呼んでいる。
そう、宮沢賢二の「セロ弾きのゴーシュ」に因んで。
あそこではゴーシュのチェロによって…
ねずみや、たぬきが救われ、
かっこうが音に取り組むことの大事な姿勢を
ゴーシュに教える。
お互いさまの中で、最後にゴーシュはホールで名演を奏でる。
いい音は、本当に、薬になる。
胃の調子の悪い時、
練習をしていると治まる。
楽器が体に響きを与えると
なぜかしら、不快感が去っていく。
これは、プロの音楽家なら大抵誰もが自分で経験していると思う。
小鳥たちですら、楽しみのために
ただ愉しむことを目的に
さえずりをする。。。
そして、ある個々の鳥は
さえずりを学んだり、改良したりしていくという。
楽しい、という気持ちだけでも
体に及ぼす佳い影響は深い。
まして、くわず嫌いであるだけなら
クラシックのその実力は
只ならないものがあることを、知らないだけだと思う。
それは、勿体ないだけでなく、
人にとって損失であるとも言えないか?
これらを知っていたから
過去の社会主義国家も、あるいはナチスも、
クラシック音楽を有効利用した。
あんなに貧しく厳しい状況でありながら、
現代のように「あっても無くてもいい、金が無いなら要らないもの」だとは
絶対にしなかった。
だから、利用されることを拒む多くの音楽家たちが亡命しようとした。
要らないものだとされなかったのは、確実に効果があると認知されていたためだ。
従って、社会主義国では
奏でるあるいは作曲する時点で、どんな曲なら良く
どんな曲なら駄目だと、
ごく細部にわたってまで、チェックし、規制すらした。
クラシック音楽の持つ力を、知っていたから
上手く使えば利益になり、
うっかり使い間違えれば
自分たちの体制にとって脅威になるということも、全てわかってやっていたのだ。
クラシック音楽は、愛人などでは無く
賢くおおらかな、畏怖すべき正妻の立場だったわけだ。笑
経済発展の余剰効果で
わたしたち演奏家の多い時代が今現在
日本にはある。
昭和30年代~50年代ベビーブームに生まれた
日本の音楽家は、今聴き時で
現在とても多いはずだ。
近所にそれくらいの年齢の音楽家は
20軒に一人くらいは居るんじゃないだろうか?笑
そして、質もけっして悪くない。
三流、四流、と馬鹿にするものでもない。
これを使わない手は、あるだろうか?
と、わたしはとても素朴に思う。
区内近隣のピアニストに、是非、
ちょっとうちのピアノで弾いてみてよ、
あのピアノのいい音を聴いてみたいの、と
是非気軽に声を掛けてもらいたい。
海外のソリストに80万円やら120万円やら払っても
そう良くない演奏のことだって、事実、けっこう有る。
まして、彼らが自宅で弾いてくれることなど
あり得ないわけで。。。
なのに、世間はCD一枚買って、終わってしまうのだ。
どうしてなんだろう?
いい環境で奏でられるプロの生の演奏の感慨は、
CD5~10枚分には軽く匹敵するだろうに。
地元オケのコンサートのチケットも
CD1枚の値段も、変わらないのに。。。
近所のピアノ弾きの値段は
おそらく、CD7枚から10枚分くらいで済む。
(近所の人に頼まれたら、わたしなら、それくらいでやる。)
近隣のみんなで割ったら、CD一枚にも満たない値段で
気軽に自宅で生の名演を独占して聴けるかもしれない。
また、考えようによっては
今じゃ何処へ行っても珍しくない程度に
ヴァイオリニストに出会え、
ちょっと出掛けてみれば
海外で研さんを積んだハープ奏者にだって
教えてもらえる時代なのだ。
こんな贅沢な環境に、妙に慣れているのでは
やはり惜しい と思うのは
私だけだろうか?
昭和の日本人たちが憧れてやまなかった時代の景色が
まさに今、すぐ手に入る処に普段着であるというのに
何故か放置されている。。。
キャビアの瓶詰があちこちの家庭の冷蔵庫の奥で、
手つかずで固まってる感じ?笑
どうしたら、
もっとクラシックのもっている良さを
普通のひとびとに伝えられるのだろう。。。
それを
わたしはずっと考えている。
長い、たるい、とも聞くが、
長いことはまず、それが大事な要素でもあるから
なんともならない。
長編文学と同じだ。
でも、
ある部分までを越えると
あとは面白くて嵌り込んでしまい
長い、ということが苦ではなく
成り行き的に内容に引っ張られ、いつしか面白さになるのだが。。。
とっつきに、短い曲から聴いてもらってみても、
それは短編集を拾い読みしてもらったり
現代国語の教科書の体裁と同じで、
なかなか次のレベルに行ってくれる人はいない。
なので、これはよく使われる手段だが
正攻法ではないだけに
やはり最終的には
あまり意味が無いんじゃないかと思っている。
短い短編は、概して余程の名手にあたらなければ、感慨も軽い。
のだめカンタービレも流行りはしたが、
その効果は、どれほどだったのだろう?
ベートーヴェンの7番全曲を
色々な指揮者と演奏で聞くために
演奏会のチケットやCDを買ってくれた人は
どれくらいいるのだろう…?
そして、なによりも
この曲が、自分の明日生きていくための活力に
すっごく使えてるよ、とか
疲れた時に聴くと本当にホッとするんだ。。。と、
何らかの自分への効果に
気付いてくれた人はどれくらいいるのだろう…?
知りたいようで
知りたくない諸々。。。笑
でも、知らずにはおれない気持ち。
人間の欲は、深い。
そして、人間の怠惰は、甚だしい。
この相反するふたつの人間の核心を
クラシック音楽は全て備えている。
楽であり、つらい。笑
自分?
自分はこれからもクラシック音楽の恩恵に
預かり続ける一生であるだろうし、
そうありたいと思う。
それだけで
もしかしたら充分だ。笑
楽であり、つらい。
オッケー、という感じである。
何故なら、クラシックの恩恵に
私自身が
既に完膚なきまでやられている身だからだ。
怠惰な人間は
楽過ぎることにも 飽きてしまうものだ。
欲もかきすぎれば
自分が飽和し破裂してしまうのだ。
クラシック音楽は、そんなことまで私に教えてくれている。
クラシック音楽は、驚異かつ恐畏的な存在だと、やはり思う。
やめたら大変なことになっちゃいそうだ。。。!笑


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的確な「演奏とプログラミング」はもちろんのこ と、
全てお任せ下されば長年の経験をもって
準備段階から会場スタッフの方とも連携し、場にふさわしい、
素敵な演奏をお約束致しま す。
また、◆企画コンサートのご相談、◆演奏会のチラシデリバリー、
◆リサイタルなどのスタッフ業務などのご相談も、是非どうぞ!
この記事へのコメント
クラシックについて、本を一冊読んだように完璧な考えです。
まったくそのとおりです!
クラシックとは、永遠の音です。
私の人生最後には、「G線上のアリア」を流して、と息子に言っています(笑)
人生最後に聴く音楽は(音は)やはりバッハでしょう。
な~んて、決してクラシックに詳しくも無く楽器が弾けるわけでもなく、ただひたすら好きと思える曲に耳を傾ける私。
映画の中に使われいる音楽や歌(クラシック)、平原綾香の歌にだって、ミューズの演奏にだって、(一般ピープルとしては)充分クラシックの魅力に触れていられると思っていますが。
きっかけって、そんな感じでいいんではないでしょうか。
まだまだ、人生は長い(と思う)けれど、クラシックはずっと聴きつづけ、より深い感動を与えてくれると思っています。
まったくそのとおりです!
クラシックとは、永遠の音です。
私の人生最後には、「G線上のアリア」を流して、と息子に言っています(笑)
人生最後に聴く音楽は(音は)やはりバッハでしょう。
な~んて、決してクラシックに詳しくも無く楽器が弾けるわけでもなく、ただひたすら好きと思える曲に耳を傾ける私。
映画の中に使われいる音楽や歌(クラシック)、平原綾香の歌にだって、ミューズの演奏にだって、(一般ピープルとしては)充分クラシックの魅力に触れていられると思っていますが。
きっかけって、そんな感じでいいんではないでしょうか。
まだまだ、人生は長い(と思う)けれど、クラシックはずっと聴きつづけ、より深い感動を与えてくれると思っています。
Posted by ミントクミ at 2010年06月19日 17:37
~ミントクミさま
こんにちは❤
クラシックは本当に、一生飽きない音楽ですね。まず、それが凄いと思う。
そして、一生かかっても聴ききれないほどの曲がある。これもまた、凄いことです。笑
使い捨ての当たり前の時代に、こういう存在が私たちの生活にあることは幸せですね。
G線も、さまざまな演奏があります。バッハはどんな形にも変化の効く楽曲。
色んな愉しみ方を示してくれますね。
さまざまな曲を、自分の大切な時間のために、大切に聴いて、その時折々の自分に一番ぴったりなものを探し求めては愉しんでいきましょう!
また、お喋りしたいですね♪
こんにちは❤
クラシックは本当に、一生飽きない音楽ですね。まず、それが凄いと思う。
そして、一生かかっても聴ききれないほどの曲がある。これもまた、凄いことです。笑
使い捨ての当たり前の時代に、こういう存在が私たちの生活にあることは幸せですね。
G線も、さまざまな演奏があります。バッハはどんな形にも変化の効く楽曲。
色んな愉しみ方を示してくれますね。
さまざまな曲を、自分の大切な時間のために、大切に聴いて、その時折々の自分に一番ぴったりなものを探し求めては愉しんでいきましょう!
また、お喋りしたいですね♪
Posted by kazuho
at 2010年06月20日 13:32

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