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岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜名古屋・浜松ヴァイオリン教室:チェロ教室

私 岡田のプロフィールは、サイドバー上部の「プロフィール」欄を ご覧ください。
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電話電話:一旦メールを頂きましたら、ご返信にてお伝えさせていただきます。(非通知設定の 電話は受話致しませんので、ご了承下さい。)
住所家:「三ケ日教室」浜松市北区三ケ日町鵺代/電車天竜浜名湖線「奥浜名湖」駅下車徒歩
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三ケ日インターからは10分、 高速を使われない場合は、三方原から30分。
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ホームパーティー、披露宴、記念式典、などでの演奏も賜っております。
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086.共演者

カテゴリー │★生演奏のご案内

ヴァイオリンという楽器は、
基本、一人で弾く曲が無い。

そこは、ピアノやクラシックギターと、全く異なる。

これ、意外に知られていないことが多く、
「弾いて下さい」と言われて
困ることが多い。
バッハの無伴奏、イザイの無伴奏で構わないというのなら
それはそれ、であるが。。。
それは、こんな感じである。ご参考に⇒どうぞ

簡単にいえば、歌詞のない声楽のようなものである。
これら無伴奏用の曲以外の楽曲を、一人で弾いても
なんだか、変なことになるのだ。

従って、ヴァイオリニストにとって
共演者は、必須


たいてい共演者は、ピアニストになる。
昔は彼らの存在を、「伴奏者」と呼んでいた。
否、今でもその言葉は一応存在している。
が、…と思う。


ウィキペディアで、「伴奏」を検索してみた。以下。

伴奏の主たる役割は和音を演奏して和声的に音楽を充足することである。よって伴奏は、ピアノ、オルガン、チェンバロといった鍵盤楽器、ないしギター、リュート、また最近では電子楽器のような、和音を演奏しやすい楽器で行うか、オーケストラなどの合奏で行うのが普通である。他方、技術的に十分でない演奏者に対しては、伴奏がそのためのフレームを作る役割もある。

伴奏は時に、主奏と同等またはそれ以上の役割を演ずることがある。旋律の掛け合いはもちろん、伴奏楽器が旋律を演奏し、主奏が副次的な動きをすることもある。曲全体にわたって役割が逆転しているようなものもある。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタやシューマンの歌曲は、ピアノ伴奏の役割が非常に高い作品として知られている。

声楽曲の場合や主旋律が単独の楽器である場合、演奏形態の呼び名の上で伴奏は演奏者の数に入らないことがある。すなわち独唱や、重唱、斉唱、合唱と呼ばれるものには、伴奏を伴うものも伴わないものもある。独奏も同じであるが、単独の楽器による伴奏を伴う独奏を二重奏とする場合もある。また、協奏曲はオーケストラを伴奏とする独奏ないし重奏と捉えられることがある。


これ、前半の方の段落は特に、非常に日本人的な解釈、あるいは
半世紀前の欧米の意識、である。
(段落を追うごとに、曖昧な現状に近づいてもいるが。。。笑)
伴奏は和声だけを担えば良い、という規定だけでは現実的には困るのだ。
そんな伴奏では ともすれば、無い方がマシ、と思うことだって起こりうる。笑
今日はそんな「伴奏」話を書きたいと思う。


海外の音大に行くと、ピアノでも
ソロ演奏科以外に、昔から伴奏ピアノの専科が存在している。
つまり、バリバリとただ単独でピアノが弾けるだけでは
共演者にはなれないわけだ。
つまりそういう奏者を、上手い、とは言わないのである。

クラシックの世界には
オーケストラとソリストが一緒に奏でる
”協奏曲”(コンチェルト)というのがあるが、
あれも元来は”○○とオーケストラのためのコンチェルト”という表記であって
”○○協奏曲”、とは簡便なのでそう言うだけだし、
ピアノとヴァイオリンで共演する”ソナタ”も
”Sonata for Piano and Violin”であって、
邦訳のような”ヴァイオリン・ソナタ”、ではない。
呼び名からくるイメージは、必ずしも正しくないという事実。

これら協奏曲やソナタを弾くにあたっては
双方が同じくらいその一曲に対して何らかの感情が必要になる。
ソリストだけがその曲に対して感情を伴っても
カラ回りして、結局 稚拙な演奏にしか仕上がらない。
従って、ピアニスト(共演者)にも大いに楽曲研究をしてもらうべきなのだ。

巷のコンサートのように、ソリストの出演料が滅茶苦茶に高いと
(名のあるソリストは、一晩数十万から100万円前後する。)
長時間のリハーサルの日程を組むことが出来ないので、
やむなくほんの数時間のリハーサルで本番をしてしまうことが多い。
が、
あの習慣も、この勘違い的な解釈の主要因になっていると言えそうだ。
リハの時間が短いのに、本番までにそこそこに美しく通るだけの状況に仕上げなくてはならない、となれば
話し合って楽曲を作っている暇は無いので、必然的に
互いが対等であることをやめ、片方が片方に完全に合わせる、という手段が横行する。
世の中の大抵のクラシックのコンサートは、この方法でお茶を濁している。
更に悪いことには
有名どころのソリストの”名前”によって、チケットを何とか多く売ろうとする
商業的な作戦までがここに絡んできてしまっている。
なので、聴衆は、どう対等に ソリストと共演者が対峙するのか、の
わくわくするはずの、時間という偶然的な、臨場感に満ちた”バトル”を愉しめず、
ソリストの楽曲中のソロ部分だけを聴いて「あぁ。だれそれさんのソロはやっぱり美しいわ」などと感じて
音源に馴染んだ自分の耳を客席から生で確認するという作業だけで、
満足するしかなくなってしまっている。
勿体ない現状であると、私は常々思う。。。楽曲には、そんな小さな確認よりも、もっと面白い台本が書かれているのに、と。

…というわけで、
これらソロ+共演者のスタイルの楽曲は
れっきとした”二重奏”であって、独奏+伴奏、ではない
とわたしは思うのだが、なかなか現実で
そういう事態に出会えるコンサートは無い。

欧米でも、昔(大正くらい~昭和初期の所謂ヴァイオリニストの巨匠がいた時代)は
ピアニストとの二重奏なら、あからさまに
ヴァイオリニストの方が立場が上で、
ピアニストはマネージャーのような存在だった。
演奏旅行でも
一等車にヴァイオリン弾き、
二等車にピアニスト、などの待遇が普通に、ざらだったらしい。
(このあたりは、この練木さんの本にも詳しかったと記憶しているので
興味のある方は、どうぞ!)


これが恐ろしいことに、
演奏を聴いても、確かにそういう形態…
ソリストと共演者の間に上下関係がある、という事実が、如実に聴こえる。
演奏旅行の移動の車中はもとより、
演奏録音の時点ですらも、ピアノパートを意識して拾っていないことが多く、
ガンガンと流れるのはヴァイオリニストの音ばかり。
ピアニストとずれていようがなんだろうが
お構いなしに朗々と勝手にヴァイオリニストが奏でるのに対し、
ピアニストはかわいそうなほど、ソリストの無茶な歌い方にこじつけを余儀なくされつつも
何とかしてそのフレーズに”追いつこう”、とする。
ここで重要なのは、決して追い越してはいない、という点でもある。笑
(付かず離れず、ソロの邪魔をしない、というのが当時の人気伴奏者の条件だったということだ。)
つまり、奏者二人が、一緒に息をして、一緒に歌ってはいない、のである。
そこでは、対等にぶつかりあうからこそ生まれる
わくわくした動きが、聴いている方に全く得られない結果になる。

わたしが古い巨匠の奏でるソナタの演奏音源に
あまり食指をそそられないのは
そのためである。
…確かに、巨匠ヴァイオリニストの歌い方は素晴らしいのであるが、
ピアノのパートをそこまで徹底的に無視して
勝手に自分の楽器のままにフレーズを創作してしまっては、
ピアニストはもちろんのこと、
作曲家が浮かばれない、
楽譜上に計画されてそこにあるはずの効果が 出てこない
と、わたしは思うのである。。。

更に時代を遡れば
作曲者がピアノを担当し、
ヴァイオリンは友人や、当節の著名なプレイヤーが弾く、
というのは通常的にあったわけだし、
コンチェルトでも
お気に入りのピアニストの存在によって
作曲者が曲を書いたり、作曲者自身が演奏したり
あるいは指揮をしたり、
ということもあったわけで、
そこにはどちらの格が上か下か、というものは無かったはずだし
また故に、本番前に合わせのためにかなりの時間を割いているはずだ。
実際のところ
オーケストラの中で協奏曲を奏でてみれば
どちらの存在も非常に重要であることは
即、察知される。
が、現代のように時間もお金も無い、となれば
話し合うことも無くいきなりやるわけだが、
そうなればオケ側が大人の精神で一歩譲って
台本を単調にソロの邪魔にならぬように無難に丸読みするしか方法がない
またそこには、ソリストは俺たちよりギャラの高い偉い人だから、
というちょいと卑屈な感情も皆無ではないだろうし、
ソリストもそういう精神的厚遇の対応に慣れてしまっている古いタイプも
まだまだ多い。。。
作曲家はこの現状を見たら、何と想うことだろうか。。。笑

例えば
有名どころのチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト
初めてさらってみると、その辺りに非常に驚くことになるだろう。
なんと、美味しいフレーズは、ほぼ全部オケが弾いている!
ソリストはオケを華やかに彩ってはいるものの、
完全に好き勝手に歌える部分やメロディーが美味しい、という
主役的な要素や、柱となるような部分は
イメージに比べてあまりに少ない。
正直、チャイコンの1楽章では、美味しいのは出だしの部分だけ、といっても
差し支えないかもしれない。
難しいばかりで、実は美味しくないのだ。笑
実は私の場合、10代の頃それに気付いて
結果オケに入団した、…というのは
嘘のないところである。。。(^^;)
あの伴奏パートの方がひきたいのよっ!という具合である。
オケの協奏曲パートは、実際非常に魅力的な旋律に満ちている。

これは、ハイドンやモーツァルトなどの頃より
ロマン派以降の音楽に顕著な事実。
互いが互いを対等の立場から引き立てる、この精神なしに
ロマン派以降の協奏曲やソナタは、あり得ないとわたしは考えている。
そして結局それは、小品でさえも、同じ姿勢が問われるわけだ。。。

オペラなどでもそうだ。
暗がりの見えない穴ぼこにオケは入っているわけだが、
彼らの音なしには、
ステージ上の歌い手は
歌はおろか、演技もままならないだろう。


「共演」という日本語があるが、
こちらの方が、Accompanimentという言葉には近いのではないか、
とわたしはよく思う。

だから、わたしは仕事をするときにも
共演者が必要なのだ。伴奏者じゃなく。。。

ちゃんと対等に、
演奏する一つずつの曲を、それぞれがそれぞれの視点から愛し、
それを一緒に
きちんとお客さんに聴いてもらおうとする姿勢のあるひとが、
わたしにとっての最高の共演者の存在だ。


だからそれは、「伴奏者」ではない。
せめて、伴走者であってほしい。
ましてや、CDのように一方的な解釈しか提示できない音源「伴奏」は
大嫌いだ。笑
手本の存在しないクラシックの世界で、感動を引き出そうとしたら
歌手の歌う通りにもの真似するカラオケじゃないので、
機械伴奏は奏者の手かせ足かせにしかならない。
こちらが機械(非人間)にならなければ
機械音源には合わせられない。

こちらが生身だから、一方的な機械にそうやって合わせてあげることは出来るが
それは、なんだかおかしな逆転になる。
おかしいから、当然感動するような演奏には出来ない。
そもそも、機械音楽に合わせた人間の音でいいのなら
生音楽を聴く必要性も実は元から損なわれている
、ということに…なってしまう。
嗚呼、本末転倒。

昨今、お金が無いので
ギャラを一人分しか出せません、と条件提示されることが多いが、
それならヴァイオリン(ヴィオラやチェロも同様)はやめておきましょうよ、
というふうに考える自分である。
ピアニストと自分が対等であることを考えなければ
その必要も無い(ギャラを不公平に分ける。笑)のかもしれないが、
わたしには、以上のような考えからそれは出来ないし、
そこまでして、愛すべき楽曲をいい加減な形で奏で
聴いて頂きたくは無いので
基本的にするつもりもない。

生の演奏の佳さを聴きたいのであるならば
独奏が可能な和声付きの楽器か、
演奏者複数人数の対応、の
どちらかを選択しないと…つまり
望み通りの佳いものであるか、安くあげるか、どちらかを割りきらないと、無理。
そこに中間は、残念ながら存在しない。

佳いものには、お金がかかる。
それは、もうどうにもならない、必然の理。
佳いもの、とは、人が精神誠意をこめて手作りする行為を伴うからだ。
更に、それが複数人の手に依ることとなると更に各段、佳いものになる。
オケが凄いのは、その効果でもある。
中途半端な計画は、中途半端な物しか生めない。
CD+わたし=良くてもわたし一人分程度の出来
共演者+わたし=二人での最低限+それ以上
と云う感じになる。

弦楽器は、一人では演奏できない楽器である。
(バッハの無伴奏で良いのなら、また別の話であるが。。。)

しかし、そこに
ひとは一人では生きられません、というフレーズと
どこかがピタリとはまる感覚も
わたしは覚えずにいられない。

共演は、
ひとにとって大切な、
そして
とても 素敵な行為だと想う。


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クローバー岡田和穂(おかだかずほ):空の音色〜三ケ日・名古屋ヴァイオリン教室クローバー

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こんな予算内でどんなことが可能?、
どんな曲でも弾いてもらえますか?、
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